『街場の憂国論』を読んでいて、わたしの日頃感じている言葉の不自由さを表してくれているような文に出会えた。 自分が何ものであるかということは実定的には指示できない。記号は「それが何でないか」を言うことしかできないからである。そして、私たちが「…
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