低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

わたしが何度も落選した理由

描いても書いてもゴミしか生み出せなくなっている自分にウンザリです。朝、目が覚めても布団から起き上がれないくらい憂鬱になってきています。髪をたくさん切って髪も明るくしてみたけれど、あまり回復できず・・・書けそうなのに書けないのがつらくて、壁に向かって話しているような感じになってきて、本当に頭悪いんだなあと自分にガッカリです。
そこでもう開き直ってみようと、ノートから顔を上げて内田樹読んだりしてみたのです。
「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」。

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

わたしが何度も落選した理由がわかったようなそんな気がしました。(まだ途中までしか読んでいませんが)

 時間差を追う側に回ることを「先を取られる」という。たとえ数百分の一秒というようなわずかな時間差であっても、一度追う立場になった人間は、その「絶対的な遅れ」を二度と回復することができない。
 (……)追う者は、追い始めたその瞬間に武術的な意味ではすでに負けている。欲望に点火されたときに人は、「すでに負けている」のである。

 他者の欲望に点火するもの、それは「謎」である。そして、ただしく黄石公が演じたとおり、「謎」はほとんど同じ動作を二度繰り返すときに発生する。

※引用の太字は作者によって点を振られている部分。
わたしは知らず知らずのうちに「負け」の立場にいたようです。追う側になっていたのです。
わたしにとっての「謎」は「自信のあった作品が落選したこと」でした。一度や二度ではありませんでした。わたしには全然理解できませんでした。どうしてわたしの作ったものはいつもダメなんだろうって・・・。この体験が無意識にわたしの「欲望」に点火させていたのかもしれません。。
ここでいう「欲望」とは何でしょうか?本書によれば、「欲望」とは、「私には知られていないゲームのルールを知りたいと望むこと」です。「欲望」を抱えたとき、「あなたは何が言いたくて、そんなことをするのか?」という問いを自制せずにはいられなくなるそうです。
わたしに置き換えてみたら、たぶん、「わたしに何を伝えたくて、わたしの作品を落選させたのか?」みたいな問いがまずあって、その一つの問いが「わたしには絶対的に欠けている何かがあるに違いない」とか「わたしが気づいていない漫画の絶対的ルールが存在するんじゃないか」とかそういう小さな問いに派生していく感じでしょうか。
このような問いをわたしが発した瞬間、わたしは追う側になり、敗者になっていたのです。(とても象徴的な言い方だけど、この本のとおりに考えるとそうなるの)

 人間が「負ける」のは別に具体的な技術の水準で劣っているからではない(黄石公はよぼよぼの老人である)。そうではなくて、「負ける」人間はつねに「必然的に負ける」のである。

なんか納得です。負ける人間は対局が始まった瞬間、もう始めから負けている。すごくゼツボー的な感じがするけれど、わたしにとっては、「そりゃ書いても書いてもダメだったわけだ」と納得いくというか。すっきりするというか・・・。
少なくとも、作品が無価値だったわけではないとわかっただけでもいいかななんて。だってそうだよね?作品が無意味ゴミ糞だったからダメだったわけじゃないんだよ(たぶん)。わたしが負け側に立ってしまっていただけ。ちょっと希望的ではありませんか。上の引用文のあとにはこう書かれていました。

そのことに気づいた人間だけが、「必然的に勝つ」理法を知る。

何が「必然的に勝つ」理法かはまだよく見えてきていませんが、いま、自分が負け位置に引きこまれていたことに気付けたわたしなら、これからの勝負、必然的に勝ち続けることができるかもしれません。
■追記(12/03/06)自分が負け位置に引きこまれたのではなく、自分で負け位置についてしまったが正しいですね。誰にされたのでもなく、自覚なしにそうしていたってことに気付くことが大事だったわけだし・・・ 
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