低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

「エゴ」という言葉について

「エゴ」という言葉。

かなり難しい言葉です。
翻訳すると「利己主義」、「わがまま」、「うぬぼれ」、心理学の用語で「自我」と解説されることが多いようです。しかしこれらの翻訳語は「エゴ」という単語が持つ意味と質感に大きくズレがあるように感じます。エゴは非常に解りづらく繊細な言葉なのだと思います。高校時代はよく先生が「エゴ」について話していました。わたしはそのたびに「エゴって何なのだ…!!」と理解できず、辞書で何度調べても納得出来ない言葉の一つでした。

最近になって「エゴ」とはどのようなものなのかがわかるような気がしてきました。
「エゴ」に当てはまる単語は日本語に存在せず、
ただの「エゴ」として捉えるのがわたしには一番しっくりきます。

「エゴ」の意味は複数存在するようです。
以下、わたしが出会ったことのある「エゴ」について感想を述べさせてもらいます。

自己満足のエゴ

日常会話で聞かれる「エゴ」の使われ方は「自己満足」や「余計なお世話」というニュアンスを含む言い方ではないでしょうか。「利己主義」という意味よりも「君は良かれと思っているのかもしれないけどね」というニュアンスをわたしは強く感じます。

例えば環境問題や動物愛護の問題。住宅地に下りてきた熊や鹿が畑を荒らして困るので害獣として退治すると動物虐待だ〜やめろ〜と他所から意見されることがあります。「かわいそうだから動物を殺すな」は愛護側のエゴだとかいう言い方をされます。

ちなみにわたしはこのニュアンスで「エゴ」という単語を使いません。わたしには非常に気持ちの悪い意味合いの言葉に感じられるからです。まあ、単にこの言葉が好きでないってことです。

意識と訳されるエゴ*1

意識と訳されるエゴについてわたしがはじめて腑に落ちたのはエックハルト・トール『ニュー・アース』を読んだときでした。

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

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現在はKindle版も出ているんですね。↓↓
ニュー・アース

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各章、各段落のタイトルロゴがスピリチュアル系にありがちな怪しいフォント(笑)なので、「宗教」と聞くと反射的に構えてしまうタイプの人には変なフィルターが掛かってしまうんじゃないかと勝手に心配してしまうのですが、文章は読みやすいですし悩みや苦しみの正体を客観視できるようになる良い本です。

この本を読むと「エゴ」という言葉の表す質感が感じ取れると思います。
ひとは自分の抱く感情や記憶、思考、反応をすべて自分と同一化しがちです。何かを好きだ嫌いだと感じる気持ちや感情を私自身だと捉えるということです。
「エゴ」とはそのような自分の中で起きる心の作用(または現象)のことだとわたしは理解しています。

エゴに気がつくというのは自分の抱く感情や記憶、思考、反応を自分とは切り離して見るということです。「私とは別物である」と注意をむけられるようになることです。自分を形成してきた過去の体験すら「私」とは別物なのです。そのことに気づけることがエゴから解放される第一歩なのだと思います。

余談ですがこの記事を書いている現在、わたしは丁度『寝ながら学べる構造主義』を読んだあとでしたので、改めて『ニュー・アース』をめくってみるとその内容をマルクスフロイトの説にところどころリンクさせて読むことができました。(わたしの無知がそうやって似ているもの同士を無理矢理結びつけているだけかもしれませんけれど。)

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

「エゴイスト」について

これはわたしがつい最近気がついた「エゴ」なのですが、「エゴイスト」という言葉にしたときに感じられる「エゴ」のニュアンスです。その使い方間違ってるよ!とかいろいろ誤解を招くかもしれませんがわたしにとっては「エゴイスト」という言葉に感じるニュアンスが以下のようであるのでそれをそのまま書こうと思います。間違いに気がついたらまた後日その旨を別の記事にしてここに書くでしょう。

わたしの思う「エゴイスト」とは、「利己主義者」という訳語からイメージする意味とは違ってかなりドライでfreedomでポジティブな言葉です。「自分さえよければそれでいいと考えている人」に結びつくイメージではありません。不思議です。何故でしょう。「EGOIST」という名を冠したファッションブランドとかアーティストとか作品が存在する現代だからでしょうか。

わたしに限っていうと、自分のことを「エゴイストだ!!」と感じられるのは同人誌を作り発行することについてです。*2自分の作った同人誌を勝手に世に出すことがわたしには非常に「エゴイストだ!!!」と感じられてなんだかとても胸が熱くなるのでした。

わたしが同人誌を作るとき、読者のことを一切考えたりしません。というか考えないようにします。「コレを描いたらウケるかな〜」とか「コレを描いたらどう思われるだろう」とかいうことを考えないようにします。「コレを描いたら変な人だと思われるだろうなー」とか「気持ち悪いだろうな〜」と思ってしまっても描きます。わたしが読みたいものを出すというのとも少し違うのですが、思うがままに描いて完成させて印刷して人に見せてしまいます。そんな行為をとても「エゴイストだ!!」と感じたのです。いい意味で。

なんでしょう、この「感じ」。
これを読んでいるひとの中には自分のことを「エゴイストだ!!」といい意味で感じたことのある方はいらっしゃいますか?これはエゴイストという意味でしょうか。それとももっと違う言葉があるのでしょうか。他者からみたら「利己主義者」「自分勝手な人」「自己陶酔に陥っている人」と感じられるかもしれませんが、「自分さえよければそれでいい」という行動ではないようにわたしには感じます。こういう構造自体を利己主義者の思考パターンというのでしょうか。それではわたしは「ただの厄介な人」でしかありませんね。

わたしが同人誌を発行するのはわたしのためというより、
「この世にこの本が存在しないことを恐れるから」という感覚が近いのですが。。。



やれやれ、「エゴ」という単語、難解ですね。
ただ1つ簡単にわかることは、「エゴ」という単語を他人に対して使わないことです。
「あんた、それはエゴだよ」とか。

Extra terrestrial Biological Entities

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*1:「エゴ」=「意識」と訳を当てはめるのはどうも雑過ぎる感が否めませんが、他にうまく説明できる言葉がないので仕方ないのかもしれません。

*2:他人が同人誌を作ることに関しては「エゴイスト」な行為だとは一切感じません。し、同人誌を作る姿勢や動機に関して自分と比較したりもしません。念のため。