低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

わたしはこれからテキトーに生きることにする。

わたしはこれからテキトーに生きることにする。

 

今までは愚痴をこぼしたり不安を口にしたりすることに対してとにかく「良くない」ことだと思っていた。他人が愚痴をこぼすぶんには何とも思わないが、自分がそれをするのははばかられた。

 

わたしの作品はノーテンキなものばかりなので、それらに影をさすようなイメージをどこにも残したくなかったからだ。

 

しかしながら、そのようなあっけらかんとした姿を装っていると、本当に無理なところまで来たときにどうしたらいいのか分からなくなってしまった。「もうキツイ」と言っても誰も理解出来ないみたいだった。ちょっと休めば治ると思っているのかもしれないが、どれだけ時間が必要かわからない。

休むことがどういうことなのかわからないので結局活動し続けてしまった。2週間の休みをもらう予定だがそれで本当に元気になれるかわからない。元気になってもまたすぐにへこたれてしまうかもしれない。そんなふうに考えるともう少し頑張ってみようと休むことを止めようとしてしまう。そしてわたしは今、自滅しかけている。

 

わたしの際限なく働く姿が周囲の仲間たちを苦しめているのではないかとも思うようになった。本人たちにその意識がまったくないとしても…。(どうしてあんなふうに頑張れるのだろう?もっとちゃんとしなきゃ!)そうやって己を駆り立てさせていやしないか。

 

いつでも前向きで元気でシャンとした姿を貫き通すのもカッコイイと思うし、そう有りたいと思うけれど、わたしはどこまでもしょーもなくて不真面目でテキトーでヘラヘラした人になろうと思う。

 

漫画製作に関することすべてに真剣に取り組んでいるが、出来ないものはどう頑張っても無理だ。出来ない。自分のあらゆる無力さを恥だと思わずに、全力で降参しようと思う。

わたしに失望してくれて構わない。

 

自分がいなくなっても世の中はなんとかなる。

 

悲しむ人はいるかもしれないが、なんとかなってしまうのだ。(決して悲観的自虐的になっているのなく、事実を述べている。)

 

そんな仕組みの世の中だから、
我々は楽してやれる範囲だけを頑張ればいいのだ。

 

わたしはこれからそうする。

 

「楽してやれる範囲だけしかがんばれませ〜ん!」というスタイルで生きること。そんな態度こそ今の世の中に効いてくるものがあるんじゃないかと考えている。

そんな仮説を立てたので、やってみることにしたというわけです。長くなりましたが今後の嘉村朗にご期待ください。