新井紀子「 AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んでいて、自分が勘違いしていたことがわかったので書いておきます。
巷で噂されているようなシンギュラリティは到来しない。
AI は人間の能力を凌駕できない。
なぜなら、計算機であるコンピューターには数式で表現できる範囲内でしか認識や事象を取り扱うことができないからである。
……このような趣旨でAIを説明されていました。
わたしはAI技術が発展してまもなく有機的人類が無機的人類を作り出すような未来を楽しみにしていたりしましたが、そんなことは起きないようだと目が覚めました。
というのも、最近Live2Dを使って動くれんげちゃんなどを作っている体験が本の内容とリンクしたため、「AI技術にはできることとできないことがある」ことを当然のこととして受け入れられたのでした。
Live2Dはイラストを動かすことのできるソフトウェアです。
実際に使ってみるまではマニュアル通りにパーツを分けて設定さえすれば簡単にイラストを動かすことができると思いこんでいました。
たしかに1コマ1コマ描きあげてアニメーションを作るよりもずっと手軽にリアリティのある表現が可能です。
しかし、決して「簡単」ではありませんでした。
Live2Dでイラストを動かすのは非常に手間隙のかかる作業です!
新しい技術を使って今までと同じようにモノ作りをするだけなのです。
表現したい何かを目指して試行錯誤を繰り返し、手間暇かけて作品を作ることに変わりはありませんでした!
↑↑髪の揺れが前より自然に……(画質もちょっと上がった笑)
技術の発展
↓
作業工程が短縮される
↓
思い通りの表現を一瞬で手に入れられる!
わたしはそんなふうに思い込んでいたのです。おそろしい!/(^o^)\
よくよく考えれば、漫画もCGソフトと高品質なタブレットの普及によって作画のクオリティもあがり効率もアップしましたが、アナログで描いていた頃と大変さはそんなに変わらないんですよね…!!
むしろ新しい表現を目指して昔には存在しなかった手間が新たに生まれているといいますか……。
丁度、「ソクラテスの弁明」を読んでいて無知の知のことを考えていたのですが、まさに知らないが故の過ちです。
自分が知らないことをさも理解しているかのように想像だけで埋めていること。そんな自分に気が付かずに生きること。それが自分の智慧に影をさしてしまうこと。
なんでも自分に必要そうだと思うことには手を出してやってみよう、調べてみようと思える出来事でした。