人には善い面と悪い面がある。
好ましい部分と好ましくなない部分をどちらも持っている。
そんなあたりまえのことをつい最近までわからなかった。
「誰にでも裏と表がある」というフレーズが表す意味をリアルな質感としてもっていなかった。
Twitterを眺めていると好ましいことを言っていたからフォローしたひとが自分と違う意見や価値観を持っていたりする。それがまったく同意できなかったり不快感を覚えることもある。
炎上して批難されているさまを見ていると好ましくない人のように「見える」。しかし、彼らたちを嫌悪し軽蔑して切り離し関わらないようにしようという気持ちにもなれないのだった。
なぜだ。
一度そのひとたちに興味を持ったり同意した自分を否定したくないからなのか、人を軽蔑・差別する自分を見たくないからなのか、面倒くさいひとでも面白いと思っているからなのか、理由はわからない。どれも当てはまるようで違う気がする。
きっとわたしも普段そういうあべこべな理路で振る舞っているように見えているだろう。そしてそれを誤魔化そうと嘘をついたり気が付かないふりをしようとする自分は絶対存在する。
そう考えるとき、矛盾を抱える人間を認めず排斥する社会だとわたしも生きていけなくなるだろう。
表裏の自覚とそれの使い分けが大人の振る舞いなのかもしれない。
わたしはずっと大人というものをわかっていなかったのだろう。