子供の頃、セサミストリートをTVで観ていたけどよく分からなかった。
ポンキッキもお母さんといっしょもよく分からなかった。これらの番組を見ると子供らしいから見ていたところもあると思う。子供っぽく振る舞うことが大事な気がして他のこの真似をしていたけど、実はよくわかっていなかった。意味が分からなかったように思う。
黄色い鳥が動いてるなとか、ガチャピンが緑だなとか思っていた気がする。キャラクターが何をしているのかはわかっていなかった。
わたしはばかだったんだと思う。
アニメと漫画はすごく惹かれた。五感を刺激する全てに惹かれた。キャラクターの一挙手一投足が素敵に見えた。
でも思い返すと、ストーリーは何一つわかっていなかったように思う。登場人物の気持ちや行動の意味を理解する力は少しもなかったなあと思う。
当然テーマ性や制作陣の発する重要なメッセージなど察知すらできていなかった。
なんでそんなに怒るんだろうとか、なんで泣いているんだろうとか、ぼんやりと見ていたように思う。絵がカッコイイから、何か魅力的な意味があるんだろうくらいに思っていたのかもしれない。
なんでこんなことをふと思ったのかというと、たまたま見かけたハフィントンポストの記事を読んで考えてしまった。
www.huffingtonpost.jp
大事なテーマを扱ってくれる番組でもわたしは全然何も響かない人間だったんだなあとか。
エルモ父の言葉をそのまま教えても何も伝わらないだろうとか。
セサミストリートを見せておけばOKというわけでもないだろうしとか。
子供番組の本質的なメッセージというのは、子供に教えているだけではなくて一緒に見ている大人に呼びかけているんじゃないかなと思ったり。
大人が大事なメッセージを受け止めて、言葉に詰まって、どうしたらいいんだろうと考えている様子を子供が見て、初めて何か簡単じゃない問題に対峙する姿勢を学ぶのではないか。
答えのない課題にどう向き合うか。自分で考えられるようになるために、わたしのできることを考えて実行していきたい。