低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

口内炎に苦しんでいます

歯列矯正の器具で喋りにくいし、舌を噛んだ傷が口内炎に変化し激痛に苦しんでいます嘉村 朗です。

口の中が絶不調ではありますが、ガツガツしっかり食べていて非常に元気です。

 

器具に絡まって食べにくいので葉物野菜や海藻を気軽に食べられなくなりました(T_T)

野菜はしばらくみじん切りでしのぎます。これから1年半くらいは刻まれた食材を使ったメニュー、ミキサーにかけたメニューばかりになりそうです。

 

矯正器具が異物でなく自分の一部であるかのように慣れてきたら、こんな風に痛くなったりしないで済むのかな……。

 

「まじです!」の宮田くん+眼鏡。

ボボボーボ・ボーボボを読んで…

こんにちは嘉村 朗です。

急に思い立って「ボボボーボ・ボーボボ」を初めて読んでみました。

小学生の頃の自分の漫画と小学生の自分が漫画をわからないなりに描いていたときの感覚、楽しさのエネルギーみたいなものが物質となって目の前に現れているような気分になりました。

 

正直なところ、読んでも意味が全然わからなくて戸惑いました。

 

「みんな一体どうこれを読んでいるのか……」を知りたくて手っ取り早くAmazonレビューを覗いてみました。みんなが意味不明だと思っていて、しかもそれを楽しんでいるということがわりました。

エネルギーを浴びてる感じでこんな漫画もあったんだなと今ごろ出会えてよかったです。

目覚めながらに夢を見ているような、そんなことってできるんだ!と驚きました。

わたしは毎日夢を見ていて、覚えている限りを書き綴っているのですが、夢の映像や感覚は口に出そうとした瞬間にバラバラになって掴みどころのないものに変わってしまうので表現するのが難しいのです。夢の中ではたしかにあったことでも、現実にはありえない物理法則や理屈が書き取りを邪魔しているような感覚になります。

 

よくわからないし、うまく説明できないものでも、ボボボーボ・ボーボボのようにページを開くことでしか味わえない「体験」がそこにあるなら、こんな漫画も当然有りだったんだなと思いました。

夢みたいな掴みどころのない絵だって描いていい

わたしは毎日夢を見ていて覚えている限り日記に残しています。

 

夢の感覚で絵を描いたっていいんじゃないかなと思いました。

「この絵、なに?」

と聞かれても、答えられない線。

何を描いているのか、自分が何を見てしまったのかを説明しようとすると途端に意味がバラバラになっていくような、

そういう夢みたいな絵だって、

わたしは描けるし描いていいんだよなと。

みてみてラジオ第2回更新しました。

こんにちは、嘉村 朗です。

みぞグミ絵璃さんとのポッドキャスト「みてみてラジオ」の第2回を更新しました!

 

podcasters.spotify.com

「みてみてラジオ」は

「みてみて~」と相手に見せたいエピソードを持ち寄り、おしゃべりをするラジオです。

 

第2回の話題はみぞグミさんの「ベランダのラベンダー」、嘉村の「硬いものが食べられない!!」です。

 

このラジオは普段のわたしとみぞグミさんのおしゃべりです。

編集のために録音したものを聴きなおすと普段の我々のテンポと音質のせいか、作業通話をしているときのように「へ~そうなんだ~」と相づちを打ちながら聞けてしまうところが個人的な驚きです。

このラジオは「声の記録」といいますか、声の日記みたいだなあと思いました。わたしもみぞグミさんも日記を毎日つけているのですが、そういう共通の習慣や興味を踏まえてこのラジオは我々に丁度いい試みのような気がしました。

 

耳がお暇なときにでも聞き流してもらえると嬉しいです。

 

mizogumi.hatenablog.com

らくがき

らくがきは自分がいま楽しいと感じる創作、絵、ムードを探す作業かもしれません。

 

描きながら、

線の引きかた、強弱のつけかた、ペンの選びかた、ストロークやタッチの気持ちよさ……そんなものの一つ一つに今の自分にぴったりなものを探る作業だなあと思いました。

 

途中で力尽きました。ここまで2時間くらいです。

線画よりも着色に時間がかかっています。

わたしが楽しいと感じる塗り方も探し中です…

マイナスな感情から復活できるようになってきた

こんにちは、嘉村 朗です。

 

「色即是空空即是色」を体得したわけではありませんが、この言葉の意味するところを理解できるようになってきたせいか、

だいたいの悩みや苛立ちを自分で解放していけるようになってきました。

 

マイナスな感情からの復活

マイナスな感情からの復活が以前よりも簡単にできるようになってきたのが最近の嬉しいことです。

「どうして漫画をもっとうまく作れないんだ」とか「どうしてあんな嫌な言葉を言ってしまったんだ」とか、そういった自分についてウンザリする体験が消失したわけではありません。回数が減ってもいません。むしろ大人になってからのほうが世界をより細かく見るようになったので気持ちがざわつくことが増えました。

怒っているひとや意地悪なひとを見かけるたびに、毎回落ち込んだり悲しい気持ちになります。

そうやってマイナスな感情になったあとの復活が容易にできるようになりました。

 

一度凹んでから復活

一度凹んでから復活。

それでよかったんだなとわかりました。

 

これまでのわたしは強さとは凹まないことだと思っていたんです。嫌な言葉や怖い言葉に遭遇しても気分を悪くしないような「強い気持ち」があるのだと思っていたんです。

 

でもよく考えてみると、嫌な言葉に出会って嫌な気持ちになるのは健康な感性だから起きることです。

苦いものを食べたら味覚が苦いと感知する。そして「これは苦いですね」と言葉にできるのが正常な身体だと思います。

 

わたしは身体の苦いという反応を感じておきながら、「この程度で苦いとか言うのは人間として未熟だと思われるかもしれない。恥ずかしいことかもしれない。」などと意味不明な自意識を発揮したうえで、「べつに苦くないね」と言葉に出すことばかりしてきたんだなと思いました。素直に感じたまま「苦い」と言葉にすればいいだけなのに。

 

わたしのブログの内容は正確に理解されない

わたしは自分の気が付いたことを共有したくて記事に書いていますが、これらは全部わたしの理解したままに伝えられません。どう頑張っても伝わらないことを理解しています。

だからこそ、ここまで読んでくれたあなたに一層の感謝をお伝えしたい。どうもありがとうございます。

わたしが少しだけ楽になった方法をそのまま共有できればいいのですが、テレパシーが使えるわけでもないので無理ですね。残念です。

それでもこうして「わかりそうな気がする」感じが嬉しいことだなって思います。

冬を越したパクチー

こんにちは、嘉村 朗です。

春の空気が嬉しい気持ちにさせてくれますね。

 

お庭でほったらかしにしていたパクチーです。

か弱そうに見えるので、パクチーが冬の寒さで枯れてしまうだろうなと思っていました。

しかし、霜が降りても雪が降っても土が乾燥しても地面に這いつくばるようにして葉っぱの色を濃く分厚くして春を迎えました。

 

気温が上がり雨が降ると、地面に寝ていた茎の間から、空に向かって伸びる葉っぱがたくさん生えてきました。柔らかくてみずみずしいパクチーを摘み取ったものが上の写真です。

 

イカレーにのせて食べました★

 

↓↓同じパクチーの株についての過去記事↓↓

low-k.hatenablog.jp

 

low-k.hatenablog.jp