聖書にある「あなたの隣にいる人を愛せよ」の言葉。
私の隣人とは私たち自身のことなのだそうだ。
隣にいる弱い人は、私の「いつかの姿」…。
ものをよく知らない子供の私、悲しい出来事に落ち込んだり、怒ったり、一人で大喜びしたり、病気になったり、怪我をしたり、不慮の事故に人を巻き込んでしまったり…
どれも自分自身がそうなる可能性を持っている。
あるいはすでに経験済みだったりする。
今の自分がその立場にないだけで。
「隣人を愛する」行為とは、隣人に自分を見るということなんだ。
よくわからんが何やら泣いてる人がいる。
するとそこに泣いている自分を見てしまう。だから手を差し伸べずにはいられない。
なんだよ結局自分が一番大事なんじゃん!と思うかもしれない。
でも、それでいいんだ。
無関係な他人を自分と同じ存在として扱えられているんだからさ。
この感覚をストンと理解できる人は、かなり世界と調和できている状態なんだと思う。
この世のあらゆるものを私の一部として感じる。
同時に私が世界の一部分でしかないことを感じている。
そんな状態。
わたしもはやく、そうなりたいな…