低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

映画「レ・ミゼラブル」

レ・ミゼラブル」を観てきました。

涙がはらはらこぼれてくる映画でした。
以下、「物語」についてやいろいろ感じたことの覚書を。


このストーリーの中で、
誰がいちばん悪いだとか、誰が嫌なやつとか、誰がいちばん不幸かなんてまったく問題でなく、
わたしの中に、それぞれの登場人物の葛藤や考え方が入れ替わり立ち替わり存在しているように感じました。

物語自体がひとりの人間の世界を表現していて、
それぞれの登場人物の考え方や悩み、行動が
状況に応じて現れてくる自分のさまざまな一面であるような。

だから物語に出てくる登場人物は考え方や行動がよりわかりやすくデフォルメされ、
思考パターンが一貫しているように描かれているのかもしれません。


物語のおもしろさとはおそらく、
人間関係の複雑化にともなって心が引き裂かれそうになるときの痛みなのかもしれません。
(とはいえ、まだ全然わかりませんので引き続き物語とは何なのか探していきます・・・)

■とくに涙した部分

神父がジャン・バルジャンを教会に招き入れるシーン

「困っている人がいたら持っているものをともに分かち合わなければ」みたいな台詞がすき。神父は恩をきせようなんて顔をせずどんどん与えます。「愛」が体現されていると感じました。愛はもらうものではなく、いつだってあげるものだからです。

ファンテーヌの「夢やぶれて」

「思い描いていた夢はこんなはずじゃなかったのに…」
なんつーかもう、ここまで悲惨な状況に陥って、寒いし汚いしぼろぼろだし…で夢も希望ももはや見いだせないファンテーヌ。それでも生きていて、やんなっちゃうよもおおおおおおーーーー!!!!!しかし、美しいファンテーヌがそのメロディと叫びを歌ってくれると、やれる限り生きてみようよって気持ちになれるような気がしました。はげまされるというよりは、「そんなもんだろ」と右から左に流されていくかんじ。

ジャン・バルジャンの死んでいくシーン

ファンテーヌが微笑みながら歌っている。それがもう神の愛というか。歌詞とかよく覚えてないけれど、教会でコゼットとマリウスに囲まれて死んでいくジャン・バルジャンのシーンでは、いろいろな考えが溢れてきて感動しました。
「人は生まれながらに罪人である」とか「愛」や「正義」についてが教会の空気に溶け込んでいたように思います。決して教訓的ではなく、ただすっかり水に溶けて見えなくなった砂糖のように、あるけど見えない存在感でそこにあったように思います。