低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

食べ物のもつ記憶

プラナリアは共食いすると食べた相手の持っていた情報をコピーできる・・・と昔習いましたが、
おそらく人間や他の動物にも似たようなことは
起きているんじゃないかなーと思ったりしました。

人間はプラナリアよりも体が大きくその分複雑になっていますし、
ものを食べて吸収しても効果に即効性はなく、
影響も顕著に現れてこないのでしょう。

けれど、食べたものの抱えていた記憶や感情、思い出のようなものは
その肉体(家畜だったら肉体、植物だったら果肉や葉、茎など)に
細胞レベルで刻まれているような気がします。

ストレスのない土地でストレスのない方法によって育てられた菜っ葉と、
野菜工場で育てられた菜っ葉と
(別に野菜工場が悪いとは思いませんが。案外、野菜にとっては居心地のいい場所かも知れませんし。知らんけど。)
痩せた土地で薬まみれで急成長を促されて育った菜っ葉と
「同じ」なわけないじゃないですか。
味だけじゃなくて。
菜っ葉の記憶(人間の意識する記憶とは感覚が違うと思いますが、たしかにそこに存在していた・・・という分子の記憶的なものです。)が食べた生き物に及ぼす影響が同じわけないと思うのです。
たとえ影響力が皆無にみなされるほど少ないとしても。。。

だから「食べ物がどこでどう育てられてきたのか」というのは
大事なことなんじゃないかなーと思ったのでした。
今までは産地も栽培方法も飼育方法も全然気にしていなかったけれど。

へんなものばっかり食べていたら疲れやすくなったり
憂鬱なきもちになったりするのも無理もないよな〜と思いました。。。

わたしは苦くても、アクが強くても、虫がついていても、
テキトーに芽を出しテキトーに育ち、テキトーに実った植物を食べたいよ・・・
「そんな生き方をしてきましたが満足してます♪フー!」って記憶をもった食べ物をたべたいよ・・・