低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

動機はなんとなく…うん

なにか事件があると、
ニュースやワイドショーは犯人の動機を探りたがりますが、
果たして動機というものはそこまで重要なのか…

謎です。

わたしも中高生の頃は「動機」がまずあって次に行動があると信じこんでおりました。

けれど、何か行動した後で作られる動機というものも
あるんじゃないかなあ〜と最近は思います。

なんとなく行動してしまって、
大変なことが起きて、
今までの自分を振り返ってみて、
「こういう理由であんなことをしてしまったんです…」と動機を後から作りだして、
「そうだ、俺、そんな理由であんなことしちゃったんだよな!」って思い込むなんてことも
結構たくさんあるんじゃないかナ〜〜〜。

「理屈が通らないすべてのことは不自然だ」という思い込みがそうさせているような。


わたしの場合、
「動機」がまずあって次に行動があると思い込んでしまった背景には
小学校時代の理科の自由研究があります。

アレ、研究成果をまとめるときにまず「研究の動機」を書かなきゃいけないんですよ。

今でも鮮明に自由研究に取り組んでいた時の記憶を覚えていますが、
「動機」という文字を黒のマッキーで画用紙に書きながら
「どうきってなんじゃそれ」と一日中悩んでいました。
「どうしてこの研究をしようと思ったのかを書けばいいだけだろ?」と母に言われましたが、
はっきり言って、
「なんとなくやってみたい気がしたから」以外に動機なんてありませんでした。

でも「なんとなくやってみたい気がしたから」なんて一言で済ませるわけにもいかず…。
「動機」にふさわしい文面をそれっぽく書くのに非常に苦労しました。

そんなわけで、
毎年自由研究の動機を求められ、
読書感想文を書くにも毎度どうしてこの本を読もうと思ったのかを求められ、
自己紹介でもどうしてこのクラブ活動を選んだのか回答を求められ……etc.などしていたら
「最初に明確な筋の通った動機があって、次に行動がくるものだ!!」と
思い込んでしまっても仕方ないような気がしました。

(この推測自体もさっそくあやしいですね笑。わたしの思い込みかもしれませんし…フフフ)


で、結局なにが言いたいかっつーと、
動機はそこまで重要なものじゃない(ことも多いにある)、と思った今日この頃の感想。