低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

やられてもやり返さない系

ここ数日、報復を煽り立てるような物言いがわたしの目に触れることが多くなんだかしょんぼりした気持ちになってしまいましたので、ちょっとわたしの考えを書いておこうと思います。

結論から言いますと、
わたしは報復でこの世の幸福度が上がることはないだろうと考えています。
ですから出来る限り報復なしで生きることを望んでいます。

報復を推奨する人というのは、
やられたらやり返すのは正当な権利であり、「相手に自分と同じ痛みを与えて直接的にわからせる必要があるからだ!!」という考えで報復という方法をとるのでしょうが、たいていやり返された方は反省しません。

同時にやり返した方も、相手が謝罪の言葉を述べてきても素直に許したり…できていないように思います。
「謝罪に誠意が感じられない」とか「それくらいで許されると思うなよ!」とか言っちゃってさ(^o^;)

こうなるともう最初の大義名分「人の痛みがわかる人間にしてやるためにも必要な行為なんだよ」というのはどうでもいい感じになっているように思います。
報復の目的はやられた側の腹の虫が収まらないのでとにかく相手をめったんぎったんに傷つけてやりたいという欲望なんだと思います。

ネガティブな思考と行為は確実に自分自身の心に邪悪な傷を刻んでいくだけです。だから報復はそもそも自分にとってなんの利益もないものだと思うのです…。だからもしわたしが誰かに報復したい気持ちになったときは、自分が相手を傷つけてやりたくてたまらない気持ちになっていることに自覚的でありたいです。因果関係にとらわれず、「わたしは今、この瞬間に、純粋に目の前の人間をズタズタにしてやりたいと考えているんだ」と自覚的でありたい…。おそろしい。そうしたらたぶん、報復しないで済むような気がします。(わたしの場合は。)

それじゃあ何にも解決してないじゃないか〜!!!!って、
気持ちの持って行きどころが見つからずにストレスばかりたまるって人もいると思うし、
すごく難しい問題だなあ〜〜〜って考えるたびに嫌になりますが、
それでもわたしは報復せずに暮らしていきたいと考えています。

全世界の人を品行方正な人間にすることは不可能ですが、
そのことと自分がどう振舞い生きるのかはまったく関係ないことのように思います。
自分ひとりが清く正しく生きようと努めたところで何も変わらないように見えたとしても、
わたしは人として誠実に考え生きられるよう頑張っていいのだと思います。

いつだって、「それで、わたしはどうするのか?」だけを問われていると思うから・・・