低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

富とはお金のことを指すのでない

先日、新富裕層についての番組をTVで見かけました(全部は見ていません)。

成金が税金の低い国へ移住しちゃって、利益が祖国に還元されない問題について考えるような内容であったと思います。
画面の中の新富裕層の人はいかにも金がすべて!という感じで、「昔話に出てくるような強欲で自己中心的な金持ちって本当にいるんだあ〜〜!!」と動物園で珍獣を見た気持ちになりました。

TVに映る彼らの姿をちょっと見ただけで、
ノブレス・オブリージュってあるよなあ…と思いましたし、
お金を人間的*1に正しく使おうと考えられる人を育てるにはどうしたらいいのだろう…とか考えるきっかけにはなりました。(全部見なかったのは嫌悪感から離れる必要を感じたからです…)


しかし一番印象的だったのは、
新富裕層の対比として冒頭でチラッと流れたアメリカの貧富格差の改善を訴えるデモの映像でした。

対比的に編集されたその映像を見てなんとなく考えたのは、新富裕層もデモで富の再分配を訴える側も「金があればなんとかなるんだよ」という考え方をしていることに変わりないんじゃないかということでした。

「まずは金がなくちゃ、絶対に幸せになんかなれねーんだよ」みたいな。これでは貧困層の人が大金を手に入れたとしてそのまま今の新富裕層と同じ行動をとるんじゃないでしょうか。他人のために自分の持っているものを惜しみなく与えることができるのでしょうか…。惜しくて与えることができなかったとしても、物惜しみから与えられなかった自分を自覚することができるのでしょうか…。

我々はお金のおかげで生きてるわけじゃないのに…と思います。いや、綺麗事でなく。
いままで呼吸できる(安全な)空気があって、食べ物があって、寝るところがあったおかげだと思うのです…。かなーりシンプルに考えると。それらは別にお金と交換するのとは違う方法で手に入れたっていいのです。貨幣の関与しないところで回る経済もあると思うのです。(たぶん、新富裕層が今のバブリーな生き方を維持できないようにするには我々が金に釣られないようにすればいいのだと思います。「俺は世界で一番美味い料理を作れるが貴様のことはなんとなく気に入らねーから作ってやらん!金?知らんわそんなもの!そんじゃーね!」です。え?ふつーすぎる?ふつーのことをあたりまえに出来ないからこんがらがるんですふつーに考えて。)


「富の再分配」自体はけっこうあたりまえのことのように思います。隣になくて困っている人がいたら助ければいい。ただ、「富=金」だと思い込んでいると危ないなと思うのです。。。お金はCommunicationを可視化させる道具のひとつでしかないのですから……。

*1:わたしは平和的世界を確実に創造する考え方や行為を「真に人間的である」と考えています。