「問われる」のはもちろん楽しいものです。
それが自動送信的なものであったとしても。
自分に向かってなにか信号が送られてくるというのは嬉しいものです。。
しかし「問う」こともうまくできたらもっと楽しいんじゃないかとも思うのです。
わたしはあまり他者に向かって「問う」のがうまくないようです。
自分に「問う」ことはできても、
ひとに「問う」のをあきらめてしまいがちなのです。
「めんどくせーやつだなあ」って思うだろうな〜〜…
と勝手に思って勝手にあきらめてしまうのです。
他人の心を勝手に想像してあれこれ不安になることほど無駄な労力はないように思いますが、
一種の思いやりが引き起こす残念な現象だと思うと
これもまた愛しく感じます。残念ですが。
ちなみに今わたしが数日前から誰かにしたくてたまらない質問は、
「田舎道でたまに漂ってくる堆肥のにおいについて十分くさいことを承知で言いますが、あのにおいがわたしには一種のノスタルジックな匂いに感じられて案外嫌いじゃないんだけど、君はどう思う?」
です。