低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

理想的対話の「場」について考えている

新しい考えや意見が生まれる時というのは、たいていある意見に対して「本当にそうだろうか?」と疑問を感じるところから始まると思います。そのため二人以上の人間の間にはどうしても「反論」「対立」「否定」の空気が帯びてしまうように感じます。

わたしはそういう否定的空気が嫌で結局新しいアイディアを提案せずに沈黙してしまうことが多いと自覚しています。

ひとを否定するつもりは一切ありませんが相手の持っている考えや意見や感情を否定したり拡張したり折ったり切ったり貼ったりこねくり回すことは平気でしたいと思います。ひとの抱いている考え、意見、感情自体はそのひと自身ではないからです。それらはただの「考え」であり、「意見」であり、「感情」でしかないからです。

しかしやって自分が抱いている考え、意見、感情を他人にいじくり回されたらひとは嫌な気分になるだろうこともわかっています。ひとはそれらを自分の所有物のように感じているからです。自分自身と密接な関係を持っていると信じているからです。わたし自身もきっとそう錯覚しているので自分の考えや意見や感情を否定されたり分析されたりしたら嫌な気持ちになるでしょう。。。(実際、投稿作の批評とかを読めばへこみますし…。)

こういうところが人間の厄介なところです。
誤解や幻や思い込みや恐怖に翻弄されて、真に必要な物を生み出すことが出来ずにいる。
もっと対話をして思考と関係のネットワークを広げていかなきゃいけないのにわたしはひとりで本を読んで考え事をして風に吹かれて佇んだりブログ書いたりしていてこれでいいんかいなと……思ったりしています。

対話を通じた意見の応酬とそこから生まれる新しい価値観や考え方をわたしは昔から猛烈に欲していますが、そういう「対話」の場というのはインスタントには用意できないように思います。(そう思う一方で理想的対話の場を簡単に用意したり発生させることも可能だと思っています。もしくはすでにそういう「場」はこの世に存在していると思います。ただわたしがそういうところに縁がないだけで…。出向かないだけで…。。。)

対話の場には、何を発言しても相手を傷つける意志など持っていないこと、相手を大事に思っていること、自分自身を大事にしていること…を互いに知っている安心感が必要なように思います。
そして時間も自然と長くなるはずです。誤解を少なくするために弁解や確認や付け足しが多くなるからです。なによりアイディアが生まれる瞬間は楽しいし…。


長々と書いてしまいましたが結局何が言いたいのかというと、
誰も傷つけずに、そして誰かを傷つけることを心配せずに
意見をバンバン飛ばし合える場を作るにはどうしたらいいかな〜ってことを考えていたのです。


対話できる相手や空間をお手軽に手に入れようとせず、
対話の相手を見つけては一生の時間をかけて育てるくらいの気長さと真摯な態度で場を作っていこうとするのが確実そうです…。

あとは「○○について誰かいっしょに考えないか〜〜!!?」と第一声を自分があげること。