ここしばらく時間をかけて「草枕」を読んでおりました。
「草枕」、本当にすき!!!
小説全体、胸キュンに溢れておりました。(一部のひとに怒られそうなことを敢えて言う)
学生時代のわたしがこれを読めるわけがなく、
当然、漱石を論文やレポートにすることも出来るわけがなかったのです。
(学生時代、馬鹿なりに授業に参加し読んだり考えたりしたものが今になって少なからず芽を出したとも言えるので成績不良な自分を恥じたりしない!!!!)
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 文庫
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以下、「草枕」を感情的に讃美スル文章。
「草枕」ってさ、写生なんだよね…!
余の「今」を写生しているの。
日常のささやかな一場面や一動作への感動(血沸き肉踊るような激しい感動というよりはちょっとした心のときめきや震えのような感動)にいちいち反応する余の感性。
それらを誰かに話して聞かせても
「だから何?」って言われたり、「ふうーん」って言われるようなことだけど
それでも!「心動かされている私がここにいるんですよーーー!!!!」っていう
静かな情熱をわたしは感じました。
淡々と綴られてゆく余の語りは
「人の世を長閑にし、人の心を豊かにする」仕方の一例なのだと思います。
人として生きる仕方を教える行為です。
こんなふうに小さなことにいちいち感動したりしみじみ「いいよね〜」と反応する人間が
確かにいるんですよ!!!ということを見せること自体に意味があるのです。
「こうやって感じることが豊かな心を持っているということですよ」という意味では決してなくて、
つまらぬ世、住み難き世を
「なんかいいよね、この感じ」とわざわざ褒めては喜ぶひとがいることそれ自体が、
未だにこの世を生きる甲斐のない世の中だと思っているひとへの
「謎かけ」になっているんじゃないかと思うのです。
「なんであいつあんなくだらないことに喜んでんの?ばかみたーい」
「でもあいつ楽しそう…どうしてだろう?」
この「どうしてだろう?」を引き出すための仕掛けなんです。
「大人」だけができる行為。
写生とは「今」「ここ」にある姿を
ただ見つめそれでよしとしまた次へ…という
一連の行為だと思うのです。
過去や未来にとらわれず、
いま目の前にあるままを見て
わたしはどう判断するのかを試されている。
それは一種の穏やかな生き方の作法でもあるんだな〜って思うのです。