低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

ひとの心を動かすパフォーマンスとは、7~8割の力で魅せるもの

先日ふとわかったことをTwitterに投稿してみました。 

これについて考えたことを書こうと思います。

「ひとの心を動かすパフォーマンスとは、7~8割の力で魅せるものなのでは!?」という仮説を考えました。

 

100%全力を出し切って魅せようとするパフォーマンスって「感動させたい!人の気持を揺さぶりたい!」という送り手の気持ちが滲み出てしまっているといいますか、

嫌な言い方をすると「力を出し切るひとの演技」をしているように見えてしまうんです。アマチュアのダンス大会とか歌とか、送り手(演者)のそういう気持ちを感じとってしまうことが多いです。(もちろん、彼らの心の中はわかりませんが。)

 

プロのライブとか舞台とか漫画はそういう「この人頑張ってるな~」と感じさせられることがほとんどなく、スッと作品そのものに入り込めてしまう魔力のようなものを感じます。

作品そのものがめちゃめちゃ楽しくて、それに魅せられて夢中になってしまいます。「がんばれ~」という応援の言葉が自分の中に生まれるのではなくて、「かっこいい~!」「やばい~死ぬ~!」「サイコー!」みたいな自分の中に生まれてしまった感情の発露で精一杯になってしまう感じと言いましょうか。

 

プロの送り手は余裕でかっこいいんです。

お客の心を動かしてしまうのが普通の状態なのです。

 

自分の頑張ってる姿で感動させたいのではない。

伝えたいメッセージがあるから、それを伝えるためにこの活動をしてる。

メッセージ*1で人の心を動かさなければ。

メッセージを届けることに全力にならなければ。

 

わたしの漫画でも、思いっきり気合を入れた絵は「頑張っちゃってる感」があって後から見たときダサく見えます。後から見て、なんでもっと力を抜いて描けなかったんだ~/(^o^)\という気分になります。

こういう絵を描いてしまうときは「わたしだって、こんな絵も描けるんや―!」みたいなイキリがあるのを自分の中に感じます。

全力で描いたときの絵はたしかに気合が入っていて凄そうに見えるんです。でも、自分の中に冷静で客観的に作品をチェックする部分がなくなるためか、凄いのになんだか変な絵になってしまうのです。

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そこで、頑張らなくてもかっこいい絵や話を描けるようになるために、基礎力を爆上げする必要があります。

7~8割の力でもちゃんとかっこいい状態を発揮できるように。

 

そう考えると、力を出し切るというのは、余裕で完璧なものを魅せ続けるための努力のことをいうのかもしれません。

ステージに立っている時間や作品を作っている時間だけ頑張るという意味ではなく、ステージに立つ直前までの準備、作品制作に入る直前までの準備に最善を尽くす姿勢がプロとアマチュアを分けるのではないでしょうか。

 

わたしも読者のみなさんに楽しく読める作品を届けられるように、理想の楽しさや面白さを追求し続けることをがんばりたいです!

 

*1:ここでいうメッセージは言葉で表現された情報だけを指すのではない。イメージや想いといった言葉で表現しがたい「何か」を伝えようとする行為やパフォーマンス、創造物などを指す。