低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

上手に反省にはどうしたらいいのだろう?「嫌われる勇気」で解決してみる

本を読んだり啓蒙関係の動画を視聴したりすると自分の勘違いや失敗に気づいてひどく落ち込んでしまうことがある。

今日は「嫌われる勇気」を読んだ。

アドラー心理学の本だ。

当たり前のことを当たり前だと思えなかった自分が恥ずかしくなり、他人に対してなんてひどい事をしてきたんだろうとショックを受ける。

 

そして反省が始まるわけだが、それがどうにもうまくいかずに非常に苦しい。

 

反省したところで、どうしたら許してもらえるのだろう?

どうしたら反省したことをわかってもらえるのだろう?

 

そんなふうに悩んでしまう。

 

上手な反省の仕方とは……?

「反省」はgoo国語辞書で以下のように解説されている。

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引用元:反省(はんせい)の意味 - goo国語辞書

 

ここで解説されているとおり、これまでの言動や考えについて振り返り改めようとたくさん考えた。でもそこでツラくなってしまうのはどうしたことか。

わたしがしていたのは自責だった。

自責は文字通り自分のことを責めることだ。自分を責めることで自分が嫌になった。今すぐ消えてしまいたい。そうすればこれ以上誰も傷つけずにすむのに!でもこんなふうにグチャグチャ悩んで暗くなっていたら余計に鬱陶しいし。そもそもこれは反省しているフリをしているだけなんじゃないか。ああ、名誉を挽回するにはどうしたらいいんだろう。

アドラー心理学によれば「課題の分離」が大事だという。

「課題の分離」は悩みのもとが自分の課題なのか、他人の課題なのかを判別することからはじまる。

自責の念にかられてうじうじしているわたしの心配は「どうしたら自分が心から反省していることを相手にわかってもらえるだろうか」、「一体どうしたら信頼を挽回することができるのだろうか」ということだった。

これらの心配は「他人の課題」ということになる。

わたしが反省していると受け取るのも、わたしを再び信頼しようとするのも他人が決めることであって、わたしがどうこうできるものではない。

だからわたしにできることは何もないというわけだ。

悩んでも仕方のないことなのだ。

 

では、「わたしの課題」は何になるのか。

それは今から間違った行動をやめて、本来やるべきだった行動をすることだ。

それしかできることはない。

 

行動を変えたことでその後がどうなるかはわからない。

わからないけれど、あるべき行動をとり、あるべき態度で振る舞うことは少なくとも間違ってはいない。そんなわたしに対する反応は周りの人たちが自分たちで決めてくれる。

以上だ。

こんがらがっていた悩みと不安がシンプルになりすぎてちょっと心許ない。

心許なくても行動を変えてみなければ。そしてどうなるか成り行きを見守ろう。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 本書のタイトルだけを見ると、「別に人に嫌われるのはそんなに怖くないし、自分には関係ないかなー」とずっと遠巻きにみていた。

しかし読んでみたら「嫌われたって大丈夫!やってみよー!」みたいな挑戦する心を奮い立たせるような内容ではまったくなかった。笑

「なんでなんでなんで……」と自分がうまくいかない原因に意識が絡め取られ、身動きがとれなくなっているわたしに丁度いいタイミングで用意されたような本だった。

 

うまく反省するにはどうしたらいいんだろう……

反省がどうして自責に変わってしまうのか……

どうしたら自責から自分を解放する道を見つけられるのか……

そんなこんがらがりについて漫画を描いてみるのもいいかもしれないと思っている。