「わたしが魔法の出てくるファンタジーものを描くとしたら……」を考えるようになった。経緯は以下に。
わたしたちは案外、言葉を自在に扱えていない
我々は日頃、言葉を介してコミュニケーションをとっている。
日々の情報交換も言葉を介してなされている。そのせいできちんと言葉を扱えているように見えているが、実際はそうでもないと思う。
少なくとも、わたしは言葉をまだ自在に扱えていない。
語彙が少ないという意味ではない。
適切な文法で、言葉同士の関係を掴みつつ構文を組み立てていけるようになれば、複雑なものを複雑なままに把握できるようになるのではないか。
言葉を自在に扱えたら、わたしはもっと早くクリアに考えたり、答えを出したり、ものを理解できるのでは……?
わたしは言葉を思考の道具として適切に使えるようになりたい。
今年はいま一度、中高生時代に習った基礎的な知識について1つ1つ確認するように学び直そうと思っている。
正確に現実を認識できるようになるためには最低限の基礎的な知識が身についていなければならない。
わたしは中高生時代に学習したことを、今現在よくわかっていないことに気がついたので……。
その学び直しの中には国語と日本語文法、古典も含まれている。
(※念の為に補足すると、言葉を正しく扱えるようになるというのは、教科書原理主義や日本語警察になることを意味していません。ペーパーテストで満点を採るために勉強をするのではないから。)
いつか魔法ファンタジーものを描いてみたい
言葉をうまく扱うことは、魔法をうまく使えるようになることに似ているのではないか。
そう着想することが増えた。
魔法を「無から何かを生み出すこと」に見立てると面白いと思う。
アイディアが生まれるとき、関係が生まれるとき、価値が生まれるとき、自分にはわからない力によって世界が動いているようにみえる、そんななにかを魔法使いの目線を通して描いてみる……。
わたしが魔法の出てくるファンタジーものを描くとしたら、詠唱行為の意味や詠唱の感覚についてが見どころになるだろう。
そして、最終的に辿り着くのは「コミュニケーションがいかに大事か」というテーマに収束していくと思う。
今から地道に準備していきたい。