ずっと才能がほしいと思っていた。
漫画を描く才能。
わかりやすい才能はわたしにはなかったが、
漫画に使える才能が自分の中にあることくらいは今ではなんとなくわかっている。(それが具体的にどんなものかとは伝えにくいが…)
それでもまだ、ないものねだりをしてしまう。
自分の作ったもの、作ろうとしていること、発見や想いに評価が足りないと思うなら、それは自分自身がちゃんと自分を評価していないからなのかもしれない。
自分の何かを満たす作業を人任せにしたところで、それが永遠に続くわけではない。
すぐにまた満たされなくなる。
自分のことを最後まで面倒見れるのは、
自分のことを最後まで愛してやれるのは
結局自分しかいない。
そういう孤独を引き受けてから一人前になれるのかもしれない。
読者が喜んでくれたり、ファンになってくれたりするのはとても嬉しいことだがそれも永遠ではない。いつまでも読者でいてもらうには描き続けることが必要だ。
だからといって彼らを繋ぎ止めるのが目的にならないように気をつけたい。
わたしが実現したいのは、「自分が役に立った実感を得ること」ではなく、「作品のメッセージが確実に届くこと」なのだ。
かつての読者がふとわたしの作品を思い出したとき、いつ戻ってきてもいいようにたくさん美味しいお茶菓子を用意して待っておくのだ。
美味しいお茶菓子、綺麗な茶器やテーブルクロス、素敵なお花を飾っておくかのようにもてなすための面白い作品を描きためていくことが大事なんじゃないか。いつ誰が自分の作品を必要としてくれるかわからないから、その瞬間に準備万端であるように今を頑張るんじゃないのか。
準備しておくことがどれだけ大事か、それをわかっているなら自分がちゃんとやってみせるしかない。それもまた一つのメッセージだから。