低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

恋愛という言葉に反発する心のむこうに

恋愛をするひとは全体の3割ほどだという。

実は恋愛をするひとは少数派なのだ……。

 

 

少女漫画をばかにされたり、恋愛をくだらないと一蹴されたりする場面に出くわすとわたしは反抗心を剥き出しにすることがある。コミュニケーションの断絶を生み出す諸悪の根源を見つけたかのような気持ちになるし虚しくなる。

 

 

「恋愛」という言葉で想像される人間関係のパターン。

恋のはじまり方、恋をするとどんな気持ちになる、デートはするのか、どんな話をするのか、どれくらい会うとか、距離感、セックス、結婚、家族……。

 

実は決まりとかパターンなんて決まっていないのだけれど、自分たちでゼロから育てていかなきゃいけない面倒なもの。

(面倒だからこそ、すでに誰かが作った関係の物語に習おうとするのかもしれない。先人に習っていいのだけど、いつの間にかそれをやっておけばうまくいくはずなのに……と認知が歪むのかもしれない。)

 

 

「恋愛」とか「家族愛」とか「友情」とか、関係に名前を付けなくても、ずっとずっと広くて深い豊かなコミュニケーションや関係がこの世には存在する。

 

 

広義の意味で「愛すること」、「愛し合うこと」。

 

「自分にとっての愛することって何なのか」を誰もが見つけられたらいいなあと思う。

 

世間の恋愛物語の押し付けに反発するようにして「恋愛とか理解できない」、「恋愛なんか自分には関係ない」と線を引いてしまうことで人間関係の可能性を、愛することの可能性を閉ざさないでほしいと願うことが多々ある。

 

 

自分の実感と合致しないのなら、「愛」という言葉を使う必要もなくて、

心から自分や他者を大事に思える心境とか

慈しむ心がこの世に存在するってこと……

そういうものについての確信を誰もが得られるようになったらいいなあと願っている。

 

 

 

恋愛という言葉に反発する心には、「私が他者との間に築いてみたい人間関係のスタイルを制限しないでよ!」という本人も言葉にできていないもどかしさを感じる。世の中に溢れ返る「恋愛の型」に合致しない自分はだめってことですか!じゃあもういいです!一生恋愛しませんからー!といじけてるみたいに見える。それはかなしい。

 

従来のスタイルを否定することなくのびのびと、人が人を豊かに愛する仕方がたんたんと育っていきますように。