ずっとずっと長い間、自分に華がないことや自分の作品に華がないことを苦しく思っていました。でも、華があるものを見ていると、彼らにもどうしても手に入らないものがあるのを知りました。
わたしが持っているものを、華のある彼らは絶対手に入れられないかもしれません。
華やかさと引き換えに失うものをわたしは持っていて、わたしはどちらも手に入れようとして身動きがとれなくなっていたのかもしれないと、ふと気がつきました。
華があることが優れていて、華のないことが劣っているわけじゃない。最初から優劣なんかなかった。ただそういうものが「在る」だけで、それぞれに対する感受性の刺激のされかたが人によって違うだけなんですよね。当たり前だけど。
「華」はいつもわたしの外側にあるものだったのかも。
わたしの内側にあったのは、「華」に気がつける感性。
ものの華やかさに気がつける自分がいたから、そういう感性をもって生まれたから、華を愛で、ありがたがり、讃えることができるのではないかと思いました。
自分自身が輝くよりも、自分の外側に素敵なものがあることに気がつけるほうが無限に華を数えることができて楽しいはず。
自分は一つしかないけれど、自分の外側には一生をかけても交流できないほどの生命や事物が日々生まれていくから……。