低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

オマージュを禁じていたと思う

こんにちは、嘉村 朗です。

今日もお話作りに難航中です。このままでは仕事にならないので、自分の苦手なことや取り掛かるのに時間がかかってしまうことをリストアップし、一つずつ心のシコリを解いてみることにしました。

 

リストを書き出しているうちに、わたしは「インスピレーションを受けて自分も描いてみる」「オマージュ作品を作る」がものすごく苦手だとわかりました。

「この展開ステキ!わたしも自分なりに描いてみよ!」とか「こういう設定、イケてる!わたしも取り入れてみよ!」が全然できません。

 

「元ネタがある」

「あの作品の影響を受けている」

そういうものを自分の創作に対して否定していたことに気が付きました。

それはつまり、自分の好きなこと、興味があること、ワクワクする表現をあえて避ける行為でした。自分のやりたいことを次々に封印するような感覚に支配されていました。

 

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格闘ゲームのヴァンパイアシリーズ。初めて見たときからすごく惹かれて憧れていたのにいつの間にか遠ざけていました。それであえて描いてみる試みを。あの頃たくさん描いたりドキドキしたりしたかった気持ちを供養するつもりで……。描いたら何かわかるかもしれないという期待を込めて……。

 

 

わたしの場合、「真似して描いた絵をパクリと言われたくない」わけではありません。

10代のころ、わたしの語る構想に対して「あの作品のアレでしょ」と友達から言われたときの「感じ」を今でもなまなましく覚えているのですが、その瞬間の「感じ」がわたしにとってすごく不快でした。「二度とこんな気持ちになりたくない!」と避けるようになったのかもしれません。

なんであのときに「そうだよ、すごく好きなんだよ、こういうモチーフが!」と認めなかったのか。どんどん語ればよかったのに、もっともっと似たようなものやアレンジを加えたものを気分のおもむくままに描いたり語ったりすればよかったのに。自分の好きな気持ちをどうして自分から恥じてしまったのか。

 

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でも、そういうふうに人から冷たく言われてしまったのはわたしに原因があったように思います。友達の性格や振る舞いが決して最低だったとか悪意があったからではないのです。

若いときのわたしは自己中心的で人をばかにするようなしょうもないガキだったので、そういう態度がそのまま鏡のように自分へ跳ね返ってきただけと思うのです。わたし自身がみんなの持っている「好きな気持ち」を馬鹿にしていたんだろうなって。

 

ひねくれていたり、他人から貪欲に学ぶ姿勢がないというのはそれだけで損だなあと思いました。ひとに意地悪をするから自分もささやかな仕返しをされて、それによって傷ついて純粋な想いや意思を押し隠すようになってしまう。

 

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いろんな漫画や映画、小説、その他エンタメは何かしらルーツや原作、元ネタがあったりします。既存作品からインスピレーションを受けて自分なりの解釈を加えて表現し直すことは盗作ではありません。そういうふうにして一つのモチーフについて物語るひとが無数にいること自体が一つのジャンルをより豊かにしていくのに必要なのだと思います。

 

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ひとの評価とか価値観は参考になるものですが、それによって自分の感覚や価値観を無視するようになってはいけないんだなと思いました。

「自分自身のことは絶対にわからない」ものですが、他人の評価によって自分がしたい気持ちや好きだと感じる気持ちを抹殺するのも違うようです。

 

こんなふうにして、少しずつ好きなものややりたいことを取り戻していけたらいいなあと思います。