低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

得意なことだからこそ、自分の未熟さに傷ついてしまう

こんにちは、嘉村 朗です。

このところ何人かのひとから、「嘉村は言葉を扱う力があるね」という趣旨のことを言ってもらえることがありました。

 

わたしは中学生の頃からずっと言葉やコミュニケーション、文章を書いたり話すことについて苦手意識がありました。

ブログも長年書き続けてはいますが、文章が得意だからとか書くことが好きだからではありません。むしろウンザリするくらい自分勝手で幼稚な文章であることを恥ずかしいと思っていながらも、公開メモ帳のような場所がわたしには必要で書き散らかしているだけなのです。

ですから言葉関係に能力があると言ってもらえたことがとても不思議でした。

 

f:id:low-k:20211025214124j:plain

↑キッズなわたしの口癖の一つ。「それってどういう意味?」。言われた方は困惑。

 

いま、自分のことで少しわかったことは、

わたしは言葉に対する興味と関心が強すぎるあまり、文章が上手いひとや話すのが巧みなひと、精確な言葉感覚を持っているひとを見つけてしまえたのだろうということ。自分より能力の長けたひとばかりが目につくので、自分の未熟な部分が際立ってわかってしまいます。すると当然落ち込みますし、自信も失います。

「なんで言葉の意味がわからないんだろう!」

「なんで言葉を知らないんだろう!」

「なんであんなふうに話したり書いたりができないんだろう!」

「わたしは言葉が苦手なんだ!」

中学生の頃から四六時中こんなことで勝手に傷ついたり苦しんだり、もがいていたなあと気が付きました。今でもそう思って常々打ちひしがれていますし、手紙やメールを書くときは神経質になります。

 

得意なことだからこそ、自分の未熟さに傷ついてしまうのかもしれません。若いし経験値が足りていないので思うように出来ないのは当然なのですが、そういうことも理解できないんですよね。

 

他者が伝えてくれる「あなた、ソレが得意だよね」のメッセージはかなり重要です

自分では絶対に自分の良さや得意に気がつけないからこそ、他者の反応してくれるポイントから自分を知る必要があるのだなと思いました。(他者の反応には、褒められるだけでなく、からかわれたり、変な目で見られることもあります。他者から反応されること自体が他の人より優れていると思っていいのかもしれませんね。)

 

これまでのわたしは自分への褒め言葉に対して謙遜や否定をしがちでしたが、これからは素直な気持ちで言葉を受け取り、自分の特徴として活かす方法を考えるようにしていきたいです。