低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

なんとなく性別を変える世界

この先の世界についてふと思ったことをメモしておく。

 

後天的に「性別を変えたいな~」と思う人や

後天的に「性対象の性別が変わってしまったな~」という人の数が増えていくと思う。

 

自分の性にまつわることを周囲の状況に合わせて変更するのが普通になるような気がする。そういうフワフワした人たちのことを先天的に遺伝子上の性別と逆転している人たちは違和感に感じ「ただのブームで性別や性対象を変えるな!」と怒るような現象が起きるかもしれない。宗教的立場や保守的立場からの反発もあるだろう。

 

 

魚にも性別が状況によって変わる種がいるように、人間も周囲の状況によって自分の性を決めている人がいるのだろうと思った。

 

今現在もそうで、

「オスのボディを持っているから男性。メスのボディを持っているから女性。」という決まりや空気を周りがみんな信じている環境に身を置いているので、それに合わせて「ノーマル」でいるだけなのかもしれない。

自分の性別、性的対象、性差のあるカテゴリ、自分の立場や基準を自分だけで決めていいと言われてしまうと、途端にどうしたらいいのかわからなくて周囲の状況によって判断しようとする人たちがわりと大勢いるのだろうと思った。それが自分がなくて悪いとかダサいとかヘンとかいうのでなく、中間層とはそういうものなんだと思った。

ちなみにわたしも、なんとなくで性別を柔軟に変えられるタイプのように思う。理由なんかなくて、「まあいっか。」程度の気持ちで変えられる気がしている。妹が急に「男になろうと思う」と言ったら「そっか~」と受け入れられそうな気もする。両親が急に「性別を捨ててただのヒトとして生きる」と言ったら「へー」と受け入れられそうな気もしている。

 

 

自分が中間層に属している分野ではフワフワした態度をとり、

自分が極端な層に属している分野ではキッパリした物言いをして強い態度をとるだろう。

どちらの性質も自分の中に存在する。

 

 

ただ、こういうグレーなものや、あいまいなもの、矛盾や宙ぶらりんなものを子供に理解させるのは不可能だろう。世界の矛盾やカオティックな様子を感じ取ることはできているとしても、理解までには時間を要するのではないかなあ。

 

このような現実があることを理解したとき、子供はもう子供でなくなるのだろう。