低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

「人間らしくていい」というフレーズへの違和感

「人間らしくていい」というフレーズへの違和感

たびたび「人間らしさ」を評価する言い回しに遭遇することがありますが、わたしはどうにもこの言い回しが好きではありません。

 

「人間らしくていい」

「人間らしくて好ましい」

「人間臭くてよい」

 

この言い回しが使われるときというのはだいたい「あなたの駄目なところに親近感を覚えるので仲間意識を感じられます。だから認めてあげましょう」という上から目線を感じます。発言者の無自覚な優越感に反応するように、わたしの頭で邪悪なイメージが広がります。

でも発言者に悪気がないこと、相手を褒めたくて言っていること、相手の魅力に心を寄せていることも非常によく分かるのです。ですから「人間らしくていい」というフレーズは世間で定番化した言い回しなんだと自分を納得させるしかありません。

定番化した言い回しもまた言葉でありコミュニケーションです。

 

 

先日、カレとこの感覚について議論をして結論がでました。

わたしはどうしてこんなにも「人間らしくていい」という言い回しに反発してしまうのか。

 

「人間らしくていい」んじゃない。「俺と似てるからヨシ!」なんだ。

結論からいうと、わたしが違和感を感じているのは「人間らしくていいよね」の<人間>の中に、わたしの許可なくわたし自身も含まれてしまっているからだとわかりました。

「俺みたいにクズいところが見られて安心できたよ。キミみたいな人がいてもいいと思う!」

そういうニュアンスのメッセージの中に、わたしを勝手に含めないでくれ!という抵抗感が違和感の正体ではないかとわかりました。

 

とはいえ弱いものいじめはいけない

堂々と、「ダメさが俺みたいで愛おしく感じた」と言うなら非常によく理解できますし、共感も同意もできます。自分のダメさを表明したくないずるさ、自分のダメさに向き合えない弱さを巧みに誤魔化そうとする子供っぽさにわたしの中の悪魔(のような正義)が牙をむくのだなあと思いました。

 

わたしもわたしで、ひとの弱さに気づく力があるのなら、それ以上チクチク攻撃するべきでないと思いました。

 

 

人を褒めるときは正の語感でいこう

そもそも褒める場面でわざわざ「臭い」という負(-)の語感をもってくるのもどうなんだろうと思えてきました。

人やものを褒めるときは明るい言葉、正(+)の語感で形容していくのを心がけたいなあと思いました。

 

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