登場人物が「キャラクター」から「人」になればなるほど、登場人物のことをちょっと嫌いになっていくことってあるのかもしれない。
ほどよい距離があるうちはわたしに都合のいい可愛らしいところやカッコいいところしか見えないから好きでいられる。
登場人物が混乱して、訳のわからないことを言ったり矛盾した言動でウジウジし始めるとイライラしてくる。
わたしが「人間らしくていい」というフレーズがあまり好きでないのも、人の弱さやダメなところを愛おしさをもって見られないからかもしれない。
それはわたしがわたし自身の未熟さや不足した能力を許せないことが原因かもしれない。
人はただあるだけで、いるだけで、奇跡の上に成り立っていて、そのこと自体が愛を証明している。
どういう経験をして、どういう感情を抱き、どういう考えをめぐらせれば、ばかで醜い自己中心的な自分を赦せるのだろうか。
誰かを嫌いになったからといって、ずっと嫌いなわけでない。
一人の人間に対して、「好き」と「嫌い」を行ったり来たりしながら、どちらも心が動くという点で差はないということを理解するまで、ひとの良いところと困ったところを見つめ続ければいいのかもしれない。