わたしが自分の悩みを話すことについて、一つわかったことがありましたのでメモ。
悩みの話って眠くなる
まず「悩みの話って、聞かされているほうには眠くなる話なんだな~」とわたしが理解した体験談です。
わたしの根深いコンプレックスや悩みについてをカレに話したことがありました。カレは「うん」「うん」と真剣に聞いてくれるのですが、わたしが夢中で話しているあいだにいつの間にかカレは眠っている……。そんなことがありました。
わたしにとっては非常に深刻で自分の本質に迫るようなエピソードや気持ちだと思っているのですが、どうも眠くなる話のようです。
思い返すとわたしの悩み話を最後までちゃんと聞けた人はいないと思います。目の前で寝てしまうところをカレ以外にも数名知っています。
眠らせてしまった人をこの目で見て、わたしはやっと理解しました。
「悩みの話って眠くなるような話なんだ」と。
眠くなる理由~悩みの話は空虚な話~
「わたしの話をちゃんと聞いてくれない!ひどい!」と言いたいのではありません。眼の前で寝てしまう人を見たことで、わたしの抱える悩みや不安は地に足のついていないフワフワした妄想話なんだと理解できたのです。
みんないい人で、わたしを助けよう、何か力になれないかと思ってわたしの悩み話を聞き始めてくれるわけです。でもすぐに眠くなってしまうのには理由があって、わたしの悩みが「意味のわからない内容」だからです。
わたしは妄想、つまり「現実にはないもの」と戦っていて、それについて一生懸命話している。この世にないものについてを説明されても、「ない」のだから掴みどころがありません。聞いているほうもどこに意識を持っていけばいいのかがわからず脳が休止状態になってしまうのかもしれません。
悩みを話すのでなく、「こうだったらいいなあ」を話してみる
「こんなことがあってつらい」は過去の出来事。一分前でも通り過ぎたなら過去の話。現在進行系に感じられるかもしれませんが苦痛の対象が目の前にないのならば過去の話です。
過去の出来事の報告は誰にもどうにもできない話題。ただ過去をなぞるだけしかできません。
また、「こんなことがあるかもしれないから怖い」というのは仮説や妄想なので本人にしかわからない世界の話題なので他人は介入しようがありません。
でも、「わたしはこうしたい」「わたしはこうなりたい」という話題はビジョンの話です。未来の話はこれから起こすことなので話を聞いている人も参加できる話題です。
願いや希望を叶えるためにどうしたらいいか。一緒になって知恵を絞るほうへ頭を使えるので協力することができます。
クリエイティブな頭の使い方ができる話題だと思います。
共感してもらいたいだけで解決策を求めていない場合もあると思う…
共感してもらいたいだけで解決策を求めていないというひともいるでしょう。今回のブログの記事は役に立たないかもしれませんね。
「共感」というコミュニケーションの素晴らしさについてはまた違う機会に考えたり調べたりしたいテーマです。
共感はただ表面的に「わかる~」と言っているだけではないし、とても嬉しい気持ちにさせるもので安心に繋がる感覚だと思うのです。同じ気分や感覚があるのだと感じられることが人の心にどう作用し周囲にどう影響を与えているのか。興味深いです。