ひとに尽くすこと、
自分の時間を使うこと、あげること、
誰かのために自分の力を使うこと
尽くすことについて考えています。
大事な言葉であり、大事な行為だと思うけれど、抵抗感や反発を感じるひとも多い言葉です。
「尽くし過ぎは捨てられる」といっても、試しに一度や二度実際にやってみないと自分なりの感覚を掴めないと思います。
「人に尽くすこと」、「自分の力を尽くすこと」、「尽くし過ぎることと適度に尽くすことの違い」、「人から捨てられたと感じること」など、想像の感覚でなく実際の自分の気持ちが大事なんだと思います。
自分のあげられる力。
自分がしたくないこと。
自分がやりたいこと。
実際に何度もやってみたらだんだんわかってくるもので、それは誰かと同じになることがないもの。みんな違うもの。
わたしはずっと人の成功体験や失敗体験といったアドバイスを参考に自分もアドバイス提供者と同じ感覚やスキルを得られるように頑張っていました。しかしながら、誰の方法でも同じようにできなくて、できてはいるけれど自分のものには絶対ならない感覚だけが残りました。
それは当然で、他人の感覚や方法、答えはその人だけのものです。その人だけに当てはまるものだからわたしに馴染むわけもない。アドバイスをもらってもその通りにやれないのは当たり前で、「アドバイスしてあげても全然やらないんだから!」というのも当たり前なのです。
当てはまることはないけれど、参考にすることはできる。
アドバイスや体験談はその程度の弱い情報。アドバイスを役に立たせるためには、実際にやってみて、そして失敗して、自分なりの塩梅を探さなければならないようです。ラクして近道して自分自身を知ることはできないんだなと思いました。成長には実際にやってみるという行動が必要のようです。
だからどうしてもその過程でわたしたちは傷ついてしまいます。
傷ついて嫌な気持ちになって苦しみを味わうことになります。でも傷は回復します。傷跡は残るけれど。
自分の傷痕をみたとき、身の回りの優しい人や弱いひとの気持ちに寄り添いたいと思ってくれる人が持っている傷の深さと数について、初めて想像することができました。