低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

わたしにとっての「自分を受け入れる」。そして「自分だけのやり方」

こんにちは、嘉村 朗です。

「自分なりの方法で」「自分に合ったもので」巷にあふれるフレーズですが、これの意味するところに納得していますか?

わたしは全然わかっていませんでした。「自分で選ぶと失敗する」、「自分で選ぶとダサいって言われるから自分で決めたくない」という考えが強かったせいもあり、「わたしだけのスタイルなんか存在しない方がこの世の善である」とすら思っていました。

そんなわたしでも最近になって「これからの人生では自分にとってしっくりくるものを選んで生きていきたい!」と思えるようになってきました。

最近わかったことを書いていこうと思います。

 

「これがわたしっぽい絵柄だ!」と得意になる時代

わたしにも最初はあったんです。

「これがわたしっぽい絵柄だ!」

とか

「こういう髪の描き方が好き!」

「わたしの絵の女の子は目をこう描くんだ!」

そんなふうに自分の好きなものや自分ぽいスタイルを肯定する心があったんです。

 

パーツの描き方やニュアンスの出し方を新しく身に着けては得意げになって何度も誇張して描きました。

所持している漫画本の中からあれこれ気に入ったコマの絵を真似して描いたりもしました。そして特に描いていて気持ちのいい絵やみんなが描いていない雰囲気の絵柄を「自分のモノだ!」と決めて喜んでいた感じが小学4年生くらいまでのわたしにはありました。

 

「これがわたし流♪」を否定する時代

でも、いつからかそういうワクワクした遊び心や根拠のない自信を自分の手で1つ1つ潰していったように思います。

小学校高学年の頃から、「自分らしいやり方」「自分流のやり方」というものを軽視するようになったなあと思います。

「これが自分の絵柄」とか「これが自分の作風」とか言っちゃう感じを馬鹿にし始めました。

 

先生や親、大人が納得するような絵を描けなきゃ全然話にならないんだ!と勝手に勘違いし始めたのです。

自分の作ったものに他人が納得してくれなければ嫌だ!完全に好きになってくれなければ意味がない!という気持ちに近い感覚でした。

 

先生や親が褒める作品の作り手にどうして自分はなれないんだろう。

つらい。

わたしだってできてもおかしくないのに!!

という傲慢さが自分をどんどんおかしくしていきました。今になって思うと、ですが……。

 

ちなみに、先生や親が褒めている作品というのはミケランジェロだったりモーツァルトです。

 

自分のことを無敵で完全だと思っていた

先生や親、大人が「あなたはミケランジェロの絵には全然及ばないね」と煽ってきたわけでもないですし、「絵を描くなら超絶技巧の1つでも身につけなさい」と求めてきたわけでもありません。理解のない大人の無神経な言葉のせいで純粋無垢なわたしの心が傷ついて歪んでしまったのではありません。

子供のわたしが「わたしはめちゃめちゃ凄い人間だから、そんくらいわたしにもやれるっつーの!」と目に入るモノすべてを勝手にライバル視していきがっていただけなんです。

全然できてないのに。

教科書に載っている絵画、音楽、小説、スポーツetc. どれも好きでもないしやりたくもないのに、です。

そうしてみんなが納得してくれそうなものを目指して頑張っているうちに自分の好きなものがわからなくなったのかもしれません。「自分の感性で選んだものはショボくてつまらないものなんだ」といつの間にか考えるようになりました。

 

「自分を受け入れる」に対する誤解

自分のことを凄いと思っているのに実際は全然たいしたことない自分。

「できない自分を受け入れよう。そうしたら生きるのがラクになるよ」と言われても、わたしにはなかなかできませんでした。「フツーの自分を許そう!認めよう!」なんて言われるとすごく悲しい気持ち、怖がる気持ちが先に立ちました。

「あなたは全然すごくないんです。でも生きていていいんです」

そんな言い回しでは全然元気が湧いてきません。わたしには卑屈な言葉に聞こえます。

 

わたしには生まれつき「自分は凄いんだ」という気持ちや意識がありました。

そういう感覚を全否定しなさいと言われているようで、自分の中の<本当の感覚>をなかったことにしろと言われているようで嫌でした。

「自分はすごくない」と意識を書き換えるのはわたしにとって嘘だからです。

でもわたしには「自分を受け入れる」ことが必要なのもわかっていました。

どうしたらいいんだろう。

わたしは「自分を受け入れる」方法を誤解していました。「フツーの自分を許そう!認めよう!」というメッセージを、わたしにぴったりの言い回しに変換できていなかったから…。

 

わたしにとっての自分を受け入れる

嘉村朗にとっての結論を先に書きますと以下のとおりです。

「わたしは凄いんだ!何でもできるんだ!」という感覚を持ちながら生きてみて、実際はなんでもかんでも思い通りにはいかなかったし、これからも理想通りにはならないだろう。」これまでの人生を通じて、そんなことを身に沁みてわかった。

(2023/04/20現在)

こんなかんじです。

わたしには、こんな言い回しがしっくりきています。

 

「わたしは凄いけど、上手くいかないし間違えるし迷うし、よくおかしくなる。」そういうことがこれまでの人生経験でわかりました。そんなことを思い知るために36年くらい必要だったんだなと思えました。

 

自分のことがちょっと理解できた。そして……

自分の癖とか、自分の陥りがちなパターンを知ったいま、「自分なりの方法」を見つけてみようという考え方ができるようになってきました。

わたしにとって良いこと

わたしにとってラクにできること

わたしにとって頑張れること……

 

そういうものを「自分で選んでいいんだ!」と思えるようになってきたんです。

 

漫画についても長らく混迷していましたが、自分のペースで、自分の好きなようにを大事にしながら取り組んでいったら、また楽しく描けるようになるかもしれないと希望が見えてきました。

あまり自分にがっかりしないで、今日の自分ができたこと、やったことを確認しながらわたしにぴったりの生き方を作っていきたいなと思っています。