写生について気づいたこと
思うように描けないとつまらなくなったり、イヤになるので、
「間違ってもいいじゃないの」
「練習なんだから、完全一致で描けなくても大丈夫」
と自分に言い聞かせながら写真を写生していました。
わたしのそんなやり方は「写生」を名乗るのに相応しくない姿勢だと思います。とはいえ人に見せたり評価してもらうでもないただの練習絵。
写真に映るきのこが1個無くてもヒダの数が違っても問題なんてないわけです……。
下手ながらできるだけ似せる努力をしよう。そんな気持ちできのこ図鑑の写真をよく見ていました。
そのとき気がついたんです。
こうやって対象を視ること自体が写生の目的の一つなのかも……って。
カサはこんな形なんだ。
ヒダはこんな質感なんだ。
こんなところに木くずがついてる。
色の境目やにじみはどうなってる?
そっくりそのままを写し取ろうと対象物をじっくり観察するとき、
一つ一つの形や色に重大な意味があるかのように信じている自分がいました。
五感で捉えられる全部に重大な意味があるに違いない!と
信じられる体験を
わたしがすることーー。
それは、あらゆるものがただ存在しているだけで神秘的であると自分にわからせる体験。
写生体験自体が、
ただ存在しているだけで奇跡的であり、重大であり、面白く、魅力を放っているという証明になっているのではーー?
そう思ったんです。
この気づきを得たとき、
写生対象と同じく、わたしも存在しているだけで奇跡を証明しているのかもしれない……とかすかに感じました。