今日、ふと思ったこと。
子供の頃、部屋が散らかっていると怒られた。
水回りがカビたり、ヌメリがでて汚くなったのを注意された。
ホコリが溜まって汚い状態を注意された。
現にわたしも、よろしくない状態だと眉をひそめて小言を言いたくなる。
では反対に、片付いていて清潔できれいなときに、いちいち投げ掛ける言葉はなんだろうか?
快適だと、それが当然であるかのように扱われる。特別なにも起きていないのと同じになる。
普通で、退屈で、特別目に付くものがない状態。
それが快適の状態。
掃除をするようになってよかったことは、他人が綺麗にした痕跡に気がつきやすくなったことだ。
綺麗であること、綺麗な状態を維持する凄さに気がつけるようになった。
何もしていないのに関わらず、清潔で綺麗で快適な環境など存在しえない。
不断の努力によって保たれている環境に気がつけるようになったことこそが、掃除の功名だと思う。
どこの誰だか知らないが、手を入れてくれた人がいたんだな……と気づくと感謝の気持ちがわいてくる。
使えるトイレ、使える水道、歩ける道、カラスに荒らされたのを片付けた跡。
どれも誰かが使えるようにしてくれている。
「すでに在るもの」への感謝ってこういうことなのかなと思った。
在るということ自体が、とても稀有で有難いことだと思えること。
そういう気持ちを理解できるようになって、生きていて良かったと思えた。
子供の頃はまったく理解できなかったから。