低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

なぜ掃除をするとよいのか。綺麗にされている場所へのセンサーが敏感になるから。

今日、ふと思ったこと。

 

子供の頃、部屋が散らかっていると怒られた。

水回りがカビたり、ヌメリがでて汚くなったのを注意された。

ホコリが溜まって汚い状態を注意された。

 

現にわたしも、よろしくない状態だと眉をひそめて小言を言いたくなる。

では反対に、片付いていて清潔できれいなときに、いちいち投げ掛ける言葉はなんだろうか?

 

快適だと、それが当然であるかのように扱われる。特別なにも起きていないのと同じになる。

普通で、退屈で、特別目に付くものがない状態。

それが快適の状態。

 

 

掃除をするようになってよかったことは、他人が綺麗にした痕跡に気がつきやすくなったことだ。

綺麗であること、綺麗な状態を維持する凄さに気がつけるようになった。

何もしていないのに関わらず、清潔で綺麗で快適な環境など存在しえない。

不断の努力によって保たれている環境に気がつけるようになったことこそが、掃除の功名だと思う。

 

どこの誰だか知らないが、手を入れてくれた人がいたんだな……と気づくと感謝の気持ちがわいてくる。

使えるトイレ、使える水道、歩ける道、カラスに荒らされたのを片付けた跡。

どれも誰かが使えるようにしてくれている。

 

「すでに在るもの」への感謝ってこういうことなのかなと思った。

 

 

在るということ自体が、とても稀有で有難いことだと思えること。

そういう気持ちを理解できるようになって、生きていて良かったと思えた。

子供の頃はまったく理解できなかったから。

みてみてラジオ第12回特別編!『嘉村とみぞグミのお泊まり会〜一日中ふたりで遊び回り、ホテルでアフタートーク〜』

こんにちは、嘉村 朗です。

みてみてラジオを更新しました。

 

今回は特別編!『嘉村とみぞグミのお泊まり会〜一日中ふたりで遊び回り、ホテルでアフタートーク〜』

本日のみてみてトピックはこちら。

  • 「大きな自然公園で遊んだよ」
  • 「盆栽と出会う」
  • 「みぞグミの喫茶店ブームに火をつけた、はじまりのお店を訪問」
  • 「初体験!嘉村がタイ古式マッサージに行ってきた」
  • 「悪くないのに居心地のよくない飲食店」
  • 「好きが爆発してると長続きしない?」

みぞグミさんと都内の公園で遊んだり、みぞグミさんお気に入りの喫茶店でおやつを食べたり、タイ古式マッサージの施術を受けてみたりした後にホテルで収録をしました。

録音機器の電池が切れてしまい途中で終わってしまっています(^_^;)すみません。

 

とても楽しい体験と時間だったので、体験記を自分なりに漫画にしていつか同人誌にまとめられたらいいなあと考え中です。

編集後記

 

みぞグミさんのブログ記事も合わせてどうぞ!↓↓

mizogumi.hatenablog.com

 

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自立して孤独になれて初めて出会える

自分はこの世の誰とも違うということ、

 

この世の誰とも同じになれないとわかること、

 

「完全一致の理解」はこの世の誰とも成し得ないということ。

 

 

それを受け入れて、自分らしくいるほどに

わたしは孤独なんだと理解する。

同時に、

みんな孤独を生きているんだとわかる。

 

 

全員が孤独だけど、そういうことを理解している者同士になれてはじめて、

「結局みんな孤独なんだよねえ」

「そうそう」

わかりあえない感じについてをわかりあえるという面白い関係が生まれる。

ドライキーマカレー

こんにちは、嘉村 朗です。

 

カレー麹を使ったドライキーマカレーを作りました。

 

一緒に炒め合わせた野菜は青唐辛子、ピーマン、長ネギ、ナス、いんげんです。

冷蔵庫にあったもので作ったカレーは一期一会の味。

 

わたしは自分で作った料理が好きです。

でも他所の人に食べさせたらがっかりな料理だろうなあと思います。

 

そのときの自分が欲しがっている栄養と味とムードに合わせて作っているから、万人受けはしません。でも妹や夫は美味しいと食べてくれるのでありがたいなあと思います。からだや感覚に近しいものがあるのかもしれません。

 

 

漫画も、いまの自分が欲しがっている栄養みたいなものを描いたらいいのかなー…。

漫画で摂取できる栄養みたいなもの、気分に浸れるもの。

いまの自分のリズム。

そんなものを作ったらいいのかなあと思いました。

「自分にとっての本当」をどんなときも感じ取れるように

今日2024年7月7日は都知事選の投開票日だ。

だからというわけではないのだが、

 

どうしたら、「わたしの考え」をひとに話せるだろう。

ずっと考えている。

 

政治の話、できない。

健康の話、できない。

教育、子育て、環境、まちづくり、福祉、社会システム、暮らし、習慣、風習、お金、外交etc........

 

話しができない。

言葉にすることや、自分の考えとして確定させるのが怖い。

 

「みんなが恐れずに意見交換できる空気作り、場作りが必要だ。」

「その場にいる全員の心理的安全性を担保できるように場をデザインする必要がある。」

そのような発想も以前はいい考えだと思っていたが、もはや信じられなくなっている。

 

心から安心できる空間で、信頼できる人間関係で、場所の空気が自由闊達な議論を許すせばわたしは話せるようになるのだろうか?

 

 

「変わらなければならないのは、他でもない、自分自身」というのは、今のわたしに対する言葉なのかな。

 

わたし自身の捉えかたが変わればいいということ?

 

わたしが本音を語っても誰も怒ったり攻撃してこない。

わたしが話を終えるまでただ黙って聴いてくれる。それで終わる。ただわたしの視点やわたしの考え、わたしの分析が相手に情報として伝達する。

答えを出すのに焦らなくていい。わたしも相手の話を秒で理解して判断して返答する必要はない。しっかりと相手を見て、感じて、言葉を受け取ることに集中する。

そういうコミュニケーションをとれる人間に、いまからなれますか?

なりましょう。わたしよ。

 

間違っていたら、また違う方法を試せばいいではありませんか。

 

 

わたしという人間が、この地球上で、わたしだけにしか見えないものを見ている。

わたしだけにしか感じられないものに気がついている。

 

だとしたら、わたしは「わたしにとっての本当」を世界に共有すること。それだけで何かに繋がっていくかもしれないよ。

レタスの観察

こんにちは、嘉村 朗です。

現在ネーム中。

前回は力を抜いて自分らしさを多少思い出しながら描けたので、今回もリラックスを心がけて自分の納得できるものを作れるように頑張りたいです。

 

***

紫キャベツの酢漬けはたくさん食べられるし保存もきくし色も鮮やかで便利なおかず。

大量に作って毎日食べています!

一度失敗したレタス栽培を再チャレンジ中。

写真の緑は間引きしたレタスの芽です。

庭で実ったミニトマトも美味しいです。

 

レタスを庭に地植えしたらあっという間に虫にかじられてなかなか大きくなりません。自然栽培だとどんなふうになるのかを観察するためのレタスになっています。

食い尽くされて消えた株もあれば、しぶとく生きている株もあります。アブラムシもどこからかやってきて葉っぱの裏側にたくさんいました。

ミニトマトコンパニオンプランツとして植えたバジルは葉をバッタやダンゴムシにかじられてなかなか大きくなりません。株自体は大きくならないけど新しい葉っぱを出して頑張っていて健気です。バジルの種を蒔いたのと同時期に自生してきたシソはぐんぐん大きくなって毎日大葉を提供してくれています。すごい生命力です。

 

再チャレンジ中のレタスはベビーリーフとして楽しもうかなーと思っています。アブラムシがやってくる前に摘み取って柔らかい葉っぱを楽しむ計画です。果たしてうまくいくのか……。