低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

不自由なくうまれて

わたしはあらゆるものにとても恵まれて生まれてきたと思います。
身体は丈夫で住む場所もあるし、食べるものはあるし親類ともに穏やかな家族に囲まれていて、学校に通うことができて友だちもいて事故や問題に巻き込まれることもなくこうして生きていることをとてもありがたく思っています。

そんなわたしは時々思うことがあります。
わたしのように不自由なく生きてきた人間は何かを語るのに説得力を欠いている存在なのだろうかとぼんやり思うのです。

わかるでしょうか。この感じ。

いじめられた側だけがいじめについて語る資格があるような、
難病のひとだけが命について語っていいというような…そういう空気がなんだかつらい。
佐々木俊尚「当事者の時代」に出てくるマイノリティ憑依の感覚とか…)

だからと言って生まれつきもって生まれたものを封印しろというわけではないですし。
むしろ恵まれた環境や身体は人智を超えたものからのgiftと考え、
コミュニティのためにその力を惜しみなく使う生き方をしましょうというのが
昔々からの賢人の教えですよね…。
きっとそういうことなんですよね…。


動物の体内でヒト臓器を作ることとか
死刑はあっていいのかとかいう話題を新聞で読みながらいろいろ考えるのですが、
答えなんて、正解なんて、出せるわけないんですよね…。

「こうすべきだ!!」と断言できる人たちもいますが彼らの対立する様を見ていても、
自分が出した答えを「信じる」という方法をとるしかない現実をわたしは見てしまうのです。
(わたしには「信じる」という感覚がいまいち理解できませんが…)

このさき答えの出せない問題に直面したとして、
きっとわたしは答えを決められないまま黙ってしまうでしょう。
問題の中心にいるのはたいてい弱者の方で、
わたしにできるのは、ないものを与えようと奔走することではなくて
たぶん、弱いものの言葉をひたすら聴いて聴いて聴き続けることなのかもしれないなあ…と思います。。。


わたしは深刻に悩んでいるわけでなく、
素朴にいつもそう感じています…。