低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

捨てられない原稿用紙…

こんにちは、嘉村 朗です。

引越し作業の影響でしばらく更新が止まるかもしれません。

思っていた以上に荷造りが大変で力尽きそうです\(^o^)/

 

引越し業者の人に重いものを運ばせるのが憂鬱で憂鬱で、ダンボール一個あたりの重さの心配ばかりしています。

物を所有するのも嫌だし、でも本はないと勉強にならないし、描けば描くほど原稿用紙は積み重なっていくし……。スキャンが終わった原稿用紙を捨ててもいいのかもしれませんが……自分が原稿用紙に引いた線を見ると、このとき何を想っていたか、どういうつもりでいたかをなんとなく思い出します。ただの紙と線じゃなくて、意味を持っている物質になってしまっているから、勝手にわたしの中に物語が出来上がって簡単に捨てられなくなる。判断に苦労するし疲れる。

今回の引越しでも捨てずに持っていくことにしました。

 

虫は何も荷物を持たずに身一つで生きていてカッコイイなあと思いました。

 

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引越し前に「気軽に会えなくなるね」と妹がご馳走してくれた中村藤𠮷本店の抹茶パフェ。

甘くない生クリーム、酸っぱいラズベリーが抹茶と合っていて美味しかったです♡

孤独について

孤独について

やるべきことを見つけ、それを追求すればするほどに人は孤独になる。

「自分がやるべきこと」とか「使命感を感じているもの」というものは、本人のオリジナリティに依存しているためか他者と完全にわかり合うことが不可能に近いと思う。

少なくともわたしはそう感じる。

「いいんじゃない?やってみなよ!応援するよ!」というひとはたくさんいるけれど、自分と同じ熱量で取り組んでくれるひとはいないと思う。

少なくともわたしにはいない。1

孤独でも孤独感を共有することはできる

けれどその孤独感を理解してくれる仲間はいる。

自分と同じようにものを追求していく孤独感を知っている人たち。

自分のことを理解はしてくれない(理解したくても絶対にできない)けれど、「孤独になるよね~」ってことだけはわかり合える仲間。

こういう孤独感を自立というのかもしれない。

そう考えたとき、人類全員が自立できなくたっていいものかもしれないと思った。

「ある期間だけ自立」とか、「死ぬまでずっと自立」とか、人によって自立している状態の時間幅が違ったりするのかもしれない。

つまるところ、「本人がどれだけ自分に納得できているか」ですべてが決まる。

だから自分自身の素直な気持ちについてだけは真剣に向き合わなければならないのだろう。

自分が素直な気持ちで納得できているなら、それですべてがよいのだ。

自分の気持ちいい状態を知っているひと、好きなものがあるひと、楽しい時間を知っているひと、自分に満足しているひと、そういうひとたちを見るとわたしは本当に素敵だなあ……わたしもそうなりたいと思う。


  1. わたしにはいない。と言ってしまうとわたしに協力したいと思ってくれているひとたちに対して失礼だと思うし、この言葉が彼らを傷つけるだろうとも思う。わたし自身が常に家族や友達、あらゆる人の力になりたいのにそうできないことの虚しさも感じている。この話題について悩むこと自体が不毛なのかもしれない。

荷造りちう

こんにちは、嘉村 朗です。

仕事場移転のため荷造り中です。

部屋の中はダンボールジャングル……!

たくさん物を捨てた気がしますが、箱が足りるのか……不安。

4年同じ場所にいたわけですが、その間にたまった原稿用紙と本が重くて重くて……(T_T)運ぶのは引越し業者のひとですが、重いものしかなくて申し訳ない。

 

 

備蓄していた保存食などもほぼ食べ尽くしました。

 

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2月に高野山で買った高野豆腐。

スーパーで売っているものより大きくて分厚く食べごたえ十分でした!

みんなが同時に幸せにならないこと

こんにちは、嘉村 朗です。

 

今日は大事なことに気がつけた記念日。

良いことがいっぱいあった!そんな日。

 

宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」に

 誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ

みんなの願いは同時には叶わない

 という歌詞がありますが、この部分の言葉が「本当にそうだなあ~」と理解できることがありました。(※宇多田ヒカルの意図や考えがわたしの気付きとまったく同じかどうかは問題でなく)

 

全員を満足させることはできないこと、

あらゆる人の気持ちを一度に救うことはできないこと、

みんなが同時に幸せになれないこと……。

 

そういう状況がストンと腑に落ちたら、わたしが漫画を描けなかった理由もちょっとわかって辛いけれど嬉しかったです。

ブログに文章で書いても面白くないから理解されないと思いますので、漫画の中に織り込んで伝えていこうと思っています。

 

 

先日描いたイメージラフ。

 

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川釣りをする海成くん。

足が冷たそー。

 

 

アップしているイメージラフはボツだからアップしています。採用ラフが出来上がるまでのボツの山を形成するゴミであり小石。

 

youtu.be

何でもかんでもやってあげてはいけない

こんにちは、嘉村 朗です。

 

お友だちから教えてもらったこと。

自分以外のひとを助けるとき、何でもかんでもやってあげてはいけないということ。

 

喜ばせること、幸せにしてあげること、助けることも過剰になりすぎてしまったら、相手の成長を妨害するのと同じだって。

自力で問題を解決しようとする時間と工夫がひとを成長させるから。

 

ひとが戦っている姿、悩んでいる姿、困っている姿に気がついても、すぐにそれを解決してあげようとせず、相手が自分で決めて動くまで何もしないこと。これが優しさであり配慮なのだと。

 

助けるのは、手や知恵を貸すのは、「お願いがあるんだけど……」と相手が自分から動いてきてくれたときだけ。

 

 

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わたしの漫画を描けない問題も自分自身で解決策を見つけなければならない。

ひとりで漫画を作る覚悟がなかったんだと思う。

 

わたしが全責任をもって「まじです!」を描きあげる。覚悟が。

 

どんな漫画にしたいか、どんなふうに描くのか、何を描くのか、わたしが決める。

それができてはじめて、協力を頼めるのに、最初から編集さんや周囲にヒントや答えをもらおうとしていた。

真っ直ぐ、クリアに

 

こんにちは、嘉村 朗です。

 

この1年ほどニュース番組、新聞、コラムなど全部を断っている。

すっかり何も知らないやつになりました。

別になんの問題もなく普通に生きられていて不思議。

 

子供の頃は、大人はTVから流れてくる情報やニュースを心の底からなんでも理解していて自分の考えを持っていてスゴイなあと思っていたけれど、どうもそうでもないらしい。

 

TVも新聞も誰も<本当に考えていること>を言わない。

「私はこう考える」というときの主語がない。

「させていただいた」とかへんてこりんな敬語で自分は無害な人間ですという主張だけをする。無自覚に無責任。

そういう情報を摂取すると気持ちが悪くなる。

 

いかにも大人らしい(と本人は思っている)神妙な顔をして中身のない言葉をしゃべるな!

 

オリンピックをやるつもりらしくビックリ。できるわけないじゃん。

 

 

子供らしい素直さ純真さを失わないことと、幼稚でいることは全然違うのに。

 

 

1日も早く幼稚な自分から脱皮するためにあれこれ挑戦して試して失敗して失敗して工夫を重ねる。

そういうことを死ぬまで止めずにいたい。

人間関係でつらいことがあったとき、どのように乗り越えられていますか?

「人間関係でつらいことがあったとき、どのように乗り越えられていますか?」

お手紙で「人間関係でつらいことがあったとき、どのように乗り越えられていますか?」という質問をいただきました。

ご本人にはまた後で個別にお返事しようと思っていますが、自分でも考えてみたことがあるのでブログにも書いておきます。

具体的にどのような人間関係のお悩みなのか分からないので、お手紙を読んで感じたことを書いておきます。

 

つらいことを「乗り越えるものだ!」と考えない人もいる。

つらいこと、大変なこと、目の前の課題。

それらに努力と工夫で「乗り越える」という感覚をお持ちのかたなのかなあと思いました。

そういうバイタリティを持ってこれまで頑張ってきて成果を上げてこられたのかもしれませんね。

だからこそ「つらいことがあったら、どうやって乗り越えたらいいのかな?」と考えるし、なんとかしようと悩んでしまうのかもしれませんね。

 

驚くべきことに、この世にはつらいことがあっても「乗り越えよう」なんて発想を最初から持たないひとが大勢います。

「保留にしておこう…」なるようになるだろ派

「はやくスッキリしたいからいっちょ正面からぶつかって分かり合おうじゃん?」スパークして悩みを焼き尽くす派

「我慢して耐える……」溜め込む派

「気づかないフリして自分のことだけ頑張ろー」他人にあまり興味ない派

「私が力になれる部分だけ協力しよう」ほっとけない世話焼き派

 

わたしの場合は状況を完全に把握するまでニヤニヤして話を聞くスタイルです。「ヘラヘラやり過ごす派」であり、「相手の思考と感覚を完全に理解したい派」かも。

だからでしょうか、「ドライ」とか「冷たい」とか言われることもありますし、理解してもらえないこともありますが、それがわたしなりの優しさなのです。深刻な顔をせずに、とにかく気の済むまで自分の中にある言葉を聞いて欲しいと思うから、ひとにもそうしてしまうのです。

ひとによって優しさの表現方法が違うんですよね。

 

 

自分がどんなやり方、どんな考え方、どんな人間関係の作り方をすればいいかは本人だけにしかわかりません。

いろいろ試して工夫を重ね、独自に作っていくしかないんですよね。だから超絶面倒くさいし、人間関係の攻略方法とか漫画やドラマの定型句に自分を当てはめてみたりして「自分は何か変なのかも……」「うまくできない自分は間違ってるのかも……」と余計に悩んでしまう(T_T)

手っ取り早くモヤモヤを解決する薬やレシピが欲しいだけなのに!

 

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結論:自分の「したい気持ち」を大切に

人間関係の問題は何がひとを苦しめるのでしょうね。

対人関係のなかで自分らしくいられないことが苦しいのかなあ……。

 

わたしの場合は、「本当に思っていることを話すひとがいない状態」とか、「取り繕った態度と会話しか存在しない場所」が死ぬほどつらいです。

 

自分らしくいること、

素直であること、

自分自身に嘘をつかないこと

 

それが人生をうまく進める方法なのかなあ~と思うこの頃です。

 

漫画でも「どうして自分らしくあることが大事なのか」を描いていけたらいいなあと思っています。

 

自分らしさを積極的に使っていかないと自分の才能に気がつくチャンスもそれだけ減ります。

わたしは自分らしく振る舞っているひとが大好きです。

自分らしさが発揮されている瞬間は雰囲気がのびのびとしていて、「どうかこれからもそうやって生きて~」と祈ります。本当です。