日記。
こんなことがあった。
自分の漫画が地味過ぎていやだいやだと駄々をこねて編集さんに迷惑をかける。
嘉村:もっと華のある漫画じゃないと駄目な気がする……!オシャレじゃないといけない気がする!
編集さん:どうどうどう!落ち着いて!……嘉村さんの言う華がある漫画ってなんですか?
嘉:今風のファッションで、今風の顔であること……。
編:え?側(ガワ)の話?話の構成とか演出とかそういう話じゃなくて?
嘉:そう、見た目が……いわゆる今のファッション誌に載れる感じじゃないでしょ!
編:嘉村さん、そうなりたいんですか?
嘉:オシャレになりたいというより、どう頑張ってもそういうのを好きな人になれないんですよおおお!
編:ならなくていいですよ。嘉村さん、そういうファッション系で勝負してないでしょ。
オシャレを理解する心を持たずに生まれてきたのに、オシャレになれないことに傷付いていた。無いものは無いのに、理解できてなかった。
オシャレなことは価値があることで、オシャレでないものは全部無価値だと思いこんでいた。(そう思っているのにオシャレになろうとしない自分もいた。それも不思議な行動だった。)
でも、生きていて地味でしょぼいものばかりに目がいく自分がいて、地味でそこらへんに転がっているものを好きだなと感じる心があった。
そういう自分の感覚を素晴らしいものだと信じられなかったし、価値が無いと思っていた。
わたしの中に確かに「ある」気持ちだったのに、無いものとして扱っていた。
それが全部をおかしくしていた。
庭のかわいいヘビイチゴとカタバミ。「映えないなあ」といちいちダメ出しするような言葉を使わなくてもいいのかもしれない。いい角度で撮ろうとか、トリミングしてカッコよくしようとも思えない。ただそこにあるだけでいいから。
そんなことがあって(同じようなやりとりは過去に何度も繰り返してきたのだが……)やっとネームが描けた。「地味でいいんだ」とちょっとだけ思えて、まだ納得はしきれてないけれど、地味だなーと思いながら自分の目に見えているものを漫画に描いた。*1
自分の感覚、自分の美意識、自分の興味、そういうものを自分で愛せるようになりたい。そうしたらもっと自信をもって人に見せられるようになるかもしれない。もっと作りたい、もっと見せたいという気持ちになるかもしれない。
そして自分が持っていないものを諦められるようになっていけるだろう。
*1:目に見えているといっても、実際にあったことを描いたのでなく、わたしには世間がどう見えているかを反映させた表現という意味。