低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

邪悪な自分に気付けるだろうか

昨日の記事で邪悪なものを回避できるようになろうなんて書いて、よしとか思っていたけれど、
もしも自分自身が邪悪なものの立場になってしまったらどうしたらいいのだろう?

わたし自身が誰かのポテンシャルの開花を妨害する可能性は十分ありうる。
というか、実際に身に覚えがある。
そんなとき、どうしたらいいんだろう。


誰かを精神的に傷つけようとしたり、
見下した態度をとったりしてしまったとき、
わたしは自分の邪悪さに気付けるだろうか。

自分の抱いてしまった感情に責任を持っているだろうか。
(あいつのせいでこんな不快な気持ちにさせられている!とか主張せず…)



そう考えたとき、ある時は邪悪さを持った人でも、
別のときに会ったら支援してくれる人になっている可能性もあると気付いた。
性根の腐った人間もいるかもしれないけれど、
誰もが自分にとっての支援者になってくれる可能性もあるってくらいの余裕は持ちたいものだ。。。
(だからといって誰でも彼でも別け隔てなく突っ込んだり、受け入れたりするわけではない。)