低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

「嫌いなものがあるからこそ頑張れる」なんていうのも嫌でござる

読み始めた内田樹『寝ながら学べる構造主義』にニーチェの「距離のパトス」について触れられていました。

距離のパトスについて本書の中では「何かを激しく嫌うあまり、そこから離れたいと切望する情動を「距離のパトス」と呼びました。」と簡単に説明されています。嫌いなやつと同じになりたくないからそうならないよう頑張るみたいな感じでしょうか…。「ああはなりたくないな…って思ったんですよ〜!だから今の自分がいるんです!」とかいう常套句?もありますし。

昨日の記事で「嫌いなものを無視できないことが云々」と書いたあとなので余計に「ああ…なんだか分かるような気がする…」とか「まさしく今がこの本を読むタイミングだったのだ…!」と感じてしまいました。

だけど、何かをがんばるために嫌いなものを探し出そうとしてはいけないような気がします。

人間を高貴な存在へと高めてゆく推力を確保するためには、人間に嫌悪を促させ、そこから離れることを熱望させるような「忌まわしい存在者」が不可欠だという倒錯した結論が導かれてしまうからです。(『寝ながら学べる構造主義』p.56)

本書にもこんなふうに書いてありますが、「嫌いなものがあるからこそ頑張れる」という考えにいつのまにか置き換えてしまわないよう気をつけたいです。中学生の頃のわたしだったら「嫌いなものがあるからこそ頑張れる」ってニーチェも言ってるじゃん!とか言いそうですね。思想の射程が低いからわかったような口を聞きたくなるんですよね。わかった気になれないと話についていけないような気がしますからそうなってしまうのでしょう。

それに、倒錯した結論の方が分かりやすくて言葉の上で納得しやすいのかもしれません。(本質を掴めたかどうかは関係なく、わかった気になれるということです。)
そういうところも注意したいところです。。

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)