低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

謝りかた、反省の仕方についてどうしたらいいのかよく考えている。

 

わたしが考えたいのは「どうしたら他人の犯した罪を赦せるか」、「犯した過ちを反省し、生き方のやり直しを信じられる社会をどうしたら作れるか」だ。「どうしたら円滑に体裁を保ったまま謝罪を完了させられるか」といった表面的な謝罪テクニックのことではない。

 

悪いことをしたひとの過去をいつまでも覚えていて何かにつけて「あのときのことは絶対忘れない。信用するな!」と主張する態度にわたしは強く抵抗する。

実際、「あのときの恨みは一生忘れない。」「罰が当たって一生どん底の人生を送ることになればいいのに。」……そう思えたらラクだ。他人の言葉や行動の本質を都度吟味しなくて済むからだ。自分の頭で考えて判断する必要がない。

悪いやつには一生悪いやつでいてもらえたら楽なのだ。

しかし、それではだめだと思う。

 

一度の過ちで人生すべてが台無しになるような社会であるとしよう。大失敗したとき、無自覚な差別や偏見でひとを傷つけてしまったとき、わたしは自分の不徳を隠蔽するようになるのではないか。なかったことにしようとするのではないか。

そうしてどんどん自分自身に鈍感になる。現実と実感のギャップがひらくばかりで物事はうまくいかなくなるだろう。

間違いを間違いと認められなかったらまた誰かを無邪気に傷つけてしまうだろう。

 

わたしはそういう社会で幸せになれないと思う。

 

どうしたら他人の犯した罪を赦せるだろう?

犯した過ちを反省し、生き方のやり直しを信じられる社会を実現するにはどうしたらいいだろう?

 

…………。

こんなことはおそらくいにしえの賢者たちが知恵を残してくれているはずなので本を読んで勉強しようと思いまーす(´×ω×`)