わたしは日々、小学生時代の自分に対して思いを巡らせることがある。
夏休みの自由研究であれをやったらよかったなーとか、これをやれば自分のためにもみんなのためにも役に立ったんじゃないかなどということだ。
例えば、今日思いついたのは、
「どうして勉強をしなければならないかの研究」
「どうしてレシピどおりに料理をしなければならないのかの研究」だ。
「どうして勉強しなければならないかの研究」は大変意味のある課題だと思う。
そもそもどうして勉強しなければならないかを当時のわたしは知らなかったし(教えてもらっても理解していなかった。)、勉強とは一体どのような行為のことを指しているのかも理解できなかった。もちろん、勉強の目的はテストで1番を目指すことでもなければ、試験に合格するためでもない。
何故、わたしは勉強をしなければならないのか?
この自由研究で導き出された答えが正しいか間違っているかは重要でない。むしろトンチンカンな答えを導き出したり、方法に問題があった方が、先生(や他の大人)からどうしたらよかったのかを修正してもらえる可能性が高い。それが一番の収穫である。
優秀な自由研究は校内で賞をもらったり、理科展に出品されたりしていたがそれもそこまで重要でない。
小学生のわたしが当時「夏休みの自由研究」を通じて体験しておくべきは次のことだった。
・自分の頭を徹底的に使い倒して考えること。
・調べられる限りの情報を手に入れ調べ尽くす癖をつけること。
・資料の収集と、それを読み込んで調べたりまとめたりすることは非常に手間のかかる作業であると知ること。
・実験(観察/調査/分析)してわかったことや、自分の考えたことを文章にすること。
・自分の書いた文章が他人にちゃんと伝わっているのかを確認すること。
・自分の研究結果をちゃんと発表してみること。
・自分のやってみたことや考えていることについて他人と話し合うこと。
わたしは一つも出来ていなかった。
大学生のときすら出来ていなかった。だからすごく馬鹿な学生だったし、ムダも多かった。
今はこれらを少しでも克服するために力を尽くしてやっているつもりだが……これがなかなか面倒くさいのである。
面倒くさいものであると割り切って、無理やりやりつつ、楽しくなる方法を考えながら少しずつ出来るようにしていこうと思っている。
「どうしてレシピどおりに料理をしなければならないのかの研究」についてはまたの機会に記事にしてみたい。