がんばれと言われるのが嫌いなひともいるらしい。
わたしは「がんばるしかない」「気持ちでどうにでもなる」と考えるひとなので「がんばれ」と言われるとうれしい。
わたしのやろうとしていることを応援してもらえていると受け取っているつもりだ。
齟齬が生じるのは「がんばる」という言葉の意味するものがひとによって違うのだろう。
言葉の使い方は相手によって変えるのが正しい。時と場合によって使い分けるしかない。
それがコミュニケーション。
面倒くさいのがふつうなのだ。
どうしてそのことにもっと早く気が付かなかったのだろう。