祝福されるものより祝福するものでありたい。
というのも、散歩をしていて突然わかったというか気付いたことなんだけれど、
なんだか大切なことのような気がするので、記しておきます。
先日わたしは人に、「わたしが人と競うような運動(人と優劣を決めるような競技)をするのはなんだか合わない気がする。祝福されていない感じがするんだ」などということを話しました。
まあ、つまりわたしは「祝福」を乞うようなことを口にしていたわけです。
発言すると同時に、自分でもあつかましいなと思いました。
愛もそうですが、
もらうことより与えることこそ我々にとっては幸福なのです。
(聖書とか哲学な本に書かれていた気がします)
今まではなんとなく、「与える方がいいのかふむ」とか思っていました。
祝福について考えていた時も、
「どうして祝福されるより祝福する側の方が幸福なんだろう」
と心から納得いく答えがわたしにはありませんでした。
けど今、わたしにわかるのは、
「祝福してもらうのを待つより、自分から祝福していく方が、祝福というものに関わる機会が比較にならないほど多くなるから」
ではないかということです。
祝福の場に立ち会うことで、
我々は幸せを感じられるんじゃないかと思います。
※祝福ってなんじゃい!?というのはまだ文字に書けるほど掴みきれていません。