低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

家事をする人がいないと困るっしょ

今日の読売新聞の人生相談の欄が
私は専業主婦ですが、友人に「専業主婦は仕事ができない人」と言われてショックです
みたいな話だった。

ちょうど専業主婦というかハウスキーピングについて
考えていたところだったので印象的であった。

わたし個人の感覚では専業主婦という役割を他のいろんな仕事(役割)と「同じ」くらいにしか感じていない。
(背負ってる責任が違うだとか労力が賃金がなどいろいろ比較して職業に優劣をつけたくなるのもわからなくないけれど、そんなことはどうでもいいじゃないか)
たぶん、専業主婦を見下した発言をしたくなる人にも、
それなりに心理的事情があるのだろうと思う。。
(仕事場で仕事を評価されなかったとかそういう・・・
そして自分よりできないように見える人を探し出して気持ちを防衛する)

わたしは専業主婦ではないけれど家で仕事をしていることが多いため、家事もしている。
家族は全員、外で働いているし。
そのことについてわたしは納得してるし
(気持ち的にやる余裕のある人がやればいいと思っている)
家族から感謝されたいとかほめられたいとか全然思っていない。

けれど、家族から「家に居るんだから楽でいいよね」とか言われるとイラッとすることもある。
そういう発言をする彼らは「家に居る」=「休み中」という感覚なんだと思う。
仕事は家の外に働きに出てするものだという先入観に支配されてるよyouたち!
…と言ってやりたい。
(言うと怒るので結局黙ってしまうわたし/(^o^)\)

みんな「今」自分が立っているその場所でただ生きているだけじゃんよ。


たかが家事。されど家事。
家事をしている最中におけるマルチタスクの華麗な消化っぷりたらないですよ。
しかも毎日同じこと(でも微妙に違う)を「継続」している。
「家事をする人」は生活する場所に必要な存在だと思う。
コミュニティの精神衛生上なくては困るといつも思っている。

そしてそれを担うのは必ずしも家族でなくてもいいんじゃないか
と思っていたりもする。理想としては。
これは「お手伝いさんを雇ってお金で解決」という雰囲気ではなくて、
なんていうか「できることは全部自分でこなせ!!!カッ!!」みたいな重圧?(風潮?)から
開放されたいという淡い願望なんですけど。
そう、淡い願望・・・ね。