低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

わたしはいつか時間をとめる

ここ数日の時間の使い方があまりにも非効率的であったことを反省しながら風呂などに入っていたら、

時間が経過することと、わたしが老いることとは特に関係ない
と考えても差し支えないのではないかと気づいた。

それは、
日が昇り朝が来て、日が落ちて夜が来るのと
時間の経過を必ずしも関連づけしなくてもかまわないということだ。

時間が経つから、時計の針が進むから、
朝が来たり夜が来たりするのではない。

地球がぐるぐる回っているからだ。
絶えず同じ間隔で。

時計が一定間隔で時を刻むのは
地球の回転速度に合わせて
あとから人間が時計という道具を作ったからだ。

わたしの考えでは、
自分の時間を止める(完全停止ではなくても極力停止状態に近くする)ことは可能だと思う。
他人の時間をどうこうすることはたぶんできない。
(出来たとしたらそれは催眠術)

こういうことを人に話すと
「は?時間は誰にも止められんよアホか」とか
面倒くさくなって無視されますが、
時間が万人共通の感覚みたいに錯覚(?)されているのは
そうでないと話が通じなくて困るからってだけなんだろう。。。

時間という感覚も人間が作り出したコミュニケーションの道具のようなものかもしれません・・・