こんにちは、嘉村 朗です。
全国各地で花火大会が開催されていますね。
今年はわたしも花火大会へ行ってきました。
これまでは家から見える花火を遠目に楽しんでいましたが、会場で見る打ち上げ花火は別ものでした。
回転しながらキラキラと光の尾を引いて打ち上がり、
光の花が咲いて、次の瞬間には重力のままに落下し風に流され消えていく。
花火は全部が一瞬でした。
この一瞬を見ていなければ「無い」のと同じで、
目をそらしていたらもう「知らない」のと同じで、
見ていても、何も感じていなかったらやっぱり「無い」ことになってしまう。
花火は確かにそこにあったのに、わたしの視野に入っていたのに、わたしの網膜に光が到達したのに、
それでも
わたしが何かを受け取らなかったら、
よくわからないものとして散り散りばらばらになってしまう。
そんなふうに花火を眺めたとき、
わたしは自分が見たものを「わたしは確かに見た」とちゃんと言えるだろうか?そう思いました。
そうやって自問すると心がグラグラしてしまいます。幻かな?気のせいかな?勘違いだろうか?と自分の体験に自信が持てないことも多いです。
↑花火の火粒がわたしにはお花の模様に見えました。尖ったキラキラの星屑でなくて、そのときは丸みのある小花のように見えました。
わたしが「なんてきれいなんだろう!」とか「すごいものだ!」と感じたことで、わたしの目の前にあったものが「きれいなもの」「すごいもの」として存在し始めるなら、世界中でわたしだけが感じたことだとしても、そういう感動や感覚を本当のことだと言い切っていいのでは?と思いました。
だからまずは自分の感覚に確信を持つこと。
頭の中での「思い込み」や「考えたこと」ではなくて、身体全体で「感じてしまったこと」を気付けるようになりたいと思いました。