低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

あきらめよう。なれないものになろうとするのは

来年は悪魔に寿命を売り渡してでも生産ページ数を増やしたい。

しかし、そこまでしてわたしが一体何を達成しようとしているのか、

何を求めているのか実はよくわからない。

何かもっと頑張らなければいけない気がして焦っているのかもしれない。

 

今のままじゃ駄目で、もっともっと自分を改善しなければいけないと思っている。

 

 この「とにかく今の自分は駄目でなんとかしなければならない」といういじけた気持ちは危険だ。

自分は頑張っている、何か努力をしているような気分にさせる。実際は空回りの努力で、何も効果を上げていないのに。

 

初心に戻ろうと思って久しぶりにドラッカーの「プロフェッショナルの条件」をなんとなく開いてみた。そのページにこう書かれていた。

努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないこと(P.114)

 

わたしの苦しみの原因はこれだったのかなと思った。

並にしかなれない分野で一流になろうと必死に頑張っていた。時間を掛けても思うような成果を出せないのも当然だった。

わたしがどう頑張っても並にしかなれない分野の例としては

「美しいもの」「非日常の世界を描くこと」「華やかなもの」「人気者の体質」「ドラマチックなもの」

これらはわたしがなんとしても手に入れたいと思って必死になっていたもので、いろいろと関連しそうなものを見たり聞いたりした。どうしたらそれらを身につけられるのか、それらを持っているひとと自分は何が違うのかずっと格闘してきた。

 

でもやればやるほど自分と遠いことが分かるだけだった。

自分はそれらが得意でないとわかっているのに、まったく認めることができなかった。

わたしが描きたい漫画はこれらを身に着けなければ表現不可能だと思っていた。自分には「美しいもの」「非日常の世界を描くこと」「華やかなもの」「人気者の体質」「ドラマチックなもの」を絶対に体得できると思っていた。

 

 

もうやめよう。

わたしには無理だ。

 

 

 

憧れになろうとするのを諦めたところで、わたしにはできることが生まれた。

 

憧れる者の気持ちを、

憧れから身を引く方法を、

憧れが憎しみや嫌悪に裏返る瞬間の気持ちを、

憎悪が敬愛に変わる瞬間を、

わたしは表現できるだろう。

 

 

現実的な手法で、

みんなもできそうな仕方で、

着実な言葉で、

君にだけ届く本当のメッセージを

物語に織り込むことができるだろう。

 

 

諦めると言うとネガティブな言葉に聞こえるが、

諦観の境地に立ったと言えばレベルアップした感じ。

2021年の嘉村朗に乞うご期待!