低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

わかりにくいけど、いる人

昨日の記事の続きになりますが、
物語(主人公の)問題の在処が外的になる書き手というのは、
普段から自分というものがちゃんとある、
揺らぎの少ないタイプなんじゃないか…という友人の推測。

なるほど、確かにわたしは「確たる自分がない」ことに不安のようなものを
感じたことはほとんどありません!ドンッ!

でも、それは「自分がある」ってわけでもないんですよねー。
むしろ、「自分がなくても全然気にならない」タイプ。
無色透明系というか…その場その場で色も質感も変えられちゃう感じ。
(なのに何とも仲間になれないような違和感…)

だからわたしという人間を誰かに紹介するときちょっと困るんじゃないかな・・・
これといって特徴がねーんだよあいつ!みたいな。
初見でわかりにくい、覚えられないタイプ。
(うおおお漫画キャラだと絶対主要キャラにさせていただけない!)

編集部も売りどころがいまいち思い浮かばないんじゃないすかねー
掴みどころがないっつーか。
賞なんかいらないのに。もはや。
「賞」を与える人の顔も知らないのに、
そこに何を見ればいいというのですか。

自分の価値は自分で決められるように、
価値あるものは進んで讃えられるように、
なりたいと思う。

<追記10/09 21:34>
なんか昨日ノーベル賞が発表されてたから、記事の内容的にタイミングが悪かったなと後から妙な気分に…
賞をもらった人やモノがどうこうと言いたいのではなく、
消費者として「賞」を基準にして自分の価値観を鈍らせるようなことはしたくないよなーということなんだけど
モンドセレクションとか、文学賞とか特に)
同時に、賞とか大会とかで冠をつけてやらないと人に広く知ってもらえない現実、
何か新しいものを知ることができない行動力のなさ(というか情報収集力のなさ、人を理解することの難しさ)を感じたりしたのであったまる