低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

物語がわからない問題

「ストーリー自体を楽しむ」という感覚がいまいちよくわからない嘉村。

本日、ひとつわかったことがありました。

みなさんは「物語」に触れるとき、
ストーリー展開を予想しながら
先を読みすすめますか?


嘉村はストーリー展開を予想しながら物語を読んだり聞いたり見たりしません。


ただみつめるだけなのです。
いま起きていることを、そのままみつめているだけ。
そしてそれが退屈でない。
過去にいろいろあろうがなかろうが、
登場人物が何かを見たり聞いたり感じたり、
物語に描写されている場所に立っていることだけで
十分感動できたりしているのですが…
それはある意味、勝手に自分で別の物語を生成して楽しんでいるともいえるかもしれません…

けれど本日、わたしに物語の楽しみ方を教えてくれたひとたちは
ストーリー展開をあれこれ予想しながら物語を読みすすめると言っていました。
そして、自分の予想に反する展開へと話が転がっていったとき、
思いもつかない展開へ話が発展したとき、
どきどきハラハラして面白いと言っていました。

なるほど、そういう読み方をするならば
予想外の展開を用意する必要性もわかります。
問題は「ストーリー展開を予想する楽しさ」がわたしに理解できていないことです。
ものすごく理屈っぽいやつだなあと思われるかもしれませんが、
心の奥底から感覚的に理解できないと
自信をもって行動できない人間なのですわたしは。

とりあえず試しに展開を予想しながら物語に接してみるのがよいと思われます。
推理小説やミステリーを読めばいいと思いますか?
わたしは推理小説の犯人もトリックも、
まったく想像することなく読んできた人間でした。
それでも楽しめていましたが…作家冥利に尽きない読者なのでしょうか…


物語の楽しみ方はこれだけでないと思いますが、
とりあえず解決の糸口のひとつとして
「ストーリー展開を予想するたのしみ」というものもだいじに探しつつ、
「ストーリー自体を楽しむ」感覚を獲得したいと思います。