低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

何かをわかるということ。教えるということ。

ふと思ったこと。

「子供でもわかるように説明できること」は大事だと思います。
しかしながら、どんなに頑張っても子供には絶!対!理解できないことがあるのです。

というか、真に「わかる」感覚の方が少ないです。
子供にかかわらず、なにかを真に「わかった!!」と思える境地には
ちょっとやそっと他人に説明してもらったくらいじゃ辿りつけない。

絶えず頭の隅に「○○とはなんぞや」というもやもやを置いていて、
ああでもないこうでもないと考えている人が
全く関係ない体験や知識に大量に触れた結果、
やっと「もしかしてこういうことじゃね!!?」という過程を経て
「わかる」感覚を獲得できる・・・ものだと思うのです。


ここ数年、中高生の自分には思いつきもしなかった考えや感覚を獲得するようになって、
子供の頃の自分にこのことを教えるにはいったいどう説明したらいいのだろう…
と考えることが増えました。
しかし、子供のわたしに何かを教えようとしても、
説明した直後にそれを理解してもらうことは到底不可能という結論になってしまいます。

教えてくれる人がいるから知恵や知識を得るのではないのでしょう。
答えがあるからものを学んだり習得するのではないのでしょう。

そう思うたびに先生という立場にあるひとの不毛さを感じずにはいられません。
めちゃくちゃ頑張って授業を準備して(ひとにものを教えるには教える内容の数倍の労力が必要なもんれす;)
すっごく熱心に説明して
わからないならわかるまでアプローチの仕方を変えて説明して…と、
わかってもらうための努力をものすごくしているにもかかわらず
生徒の方は「わかったけど、よくわからんですポカン(^o^)」
なんですよ…!!!!!!!!!!
泣ける…っ><

先生というのはきっと、
いつかわかるときが来るその瞬間のために(それも何年後になるかわからない。自分が死んだあとかもしんない)
頑張ってくれてるひとのことをいうのですよ。。。


今のわたしが子供のわたしに対してかけられる言葉は

「いつかきっとわかる時が来るよ。
もし君がそれを真にわかりたいと思うなら・・・」

それくらいしかありません・・・。