低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

アットマーク・フィロソフィア

フィロソフィアの住人になりたいなあ〜と食器を洗いながら思いました。

そして、そう思った時点でもうフィロソフィアの住人であってよいのだなあとわかりました。

哲学史などちんぷんかんなので
たぶん、わたくしごときがphilosopherを名乗ったら一部の人が怒るかもしれません。
それでもフィロソフィアの住人になれるのです。

哲学のなんたるかを知らない、わかってない人間には
フィロソフィアの住人になる資格がないというわけじゃないんです。
「誰が見てもphylosopherな人間でなければコミュニティに存在してはならない」
…ということはないのです。
日本に憧れた外国人が何もわからないまま日本に住んでみて長い時間をかけて日本人の感覚を会得するようなもんです…。


誰かが「哲学ってしょせん道楽でしょー」みたいに言っているのを見たことがあるのですが、
そういう言葉が出てくるのはその人のイメージとして
「学問」に対して権威的なものを感じる要素があったんだろうなーと思います。
「学術的にみると価値があるんですよー!!」とか
「漫画も学問として研究対象になってきています…」とか
学問に対する敷居の高さが背景にあるものの言い方じゃないですか。

まあ、学問に権威を付随させないと学問を排斥するようなことが平気で起きてしまうから、便宜上そういうことになっているのでしょうが…。外面と内面で発せられるメッセージが全然違うものほど、そのことに自覚的でいたいものです。。

学問自体に敷居なんてないのです。
あらゆるものをフラットに感じられたら。

何かに疑問をもってしつこく追求してみる素朴な好奇心。
それらすべてが学問でいいと思うのです。
誰でも何の準備が整っていなくても何もわかっていなくても、
その瞬間に不思議だなって思って知りたいと感じてやってみよーとしたひと
みんなが学者でいいじゃないですか。
そんなもんだと…思うんですけれど。


philosophiaの原義「愛智」、「知を愛する」。
それだけでもう、
思考するひとすべてに開かれているフィロソフィアの世界だと思うのです。。。